メラネシアで考える 第4話 君の名は?

アフリカもそうかもしれない。しかし、少なくともメラネシアの世界を旅していると、ジェームスさん、ヤコブさん、ジェファーソンさん、ミヒャエルさんなどの名前を持つ原住民に出あう。メラネシアの国・地域では名前は西洋化されてしまっている。
何が変?と思われる方もいるかもしれない。例えば君の名前が山田太郎としよう。日本ではごくごく普通の名前で、せいぜい、「古めかしい滑稽な名前だな」と思われるぐらいだ。しかしヨハン・シュトラウスさんだったらどうか? 周りはあなたが二世なのか、実は日系人でアメリカなどからやってきているのではないかなどと考えてしまうことだろう。
メラネシアに住む人々には当然、固有の名前はあった。しかし、植民地で強引にキリスト教化させられた結果、改名させられてしまった。伝統的な現地語の名前を持つ人に出会うのは難しい。多くはキリスト教徒にさせられる時に、ヨハネスとか、ヤコブとか聖書からとった名前が使われている。
創始改名をさせてしまうというのは植民地主義の時代にはよくあったことだし、日本も他国のことは批判できない立場にはある。朝鮮半島を併合の際にも創始改名を強制したし、アイヌ民族にも勝手に名前をつけたのだから。

パプア・ニューギニアの南西ハイランド州のフリ族を取材したときに、伝統的な名前の付け方を聞くことができた。
「親の名前の一部を使う」「場所などを名前に盛り込む」「復讐を誓わせる」など。
初めの「親の名前・・・」は言わずもがなで、分かる。例えば高橋家康の息子の名前が家光みたいなものだ。
「場所などを名前に盛り込む」とはいったい、どういうことなのか。
HOMOKO(ホモコ)という名前がある。これは「豊かな人」という意味だ。生まれた実家にはたくさんのヤムイモ畑があり、たわわに実るマンゴ、バナナの木があり、広大な土地を所有しているということを示しているという。
さらにくわしく、日本語でいうと「川のそばに椰子の木が3本ある」などの状況説明されている言葉がつくこともある。もちろん長い名前になるので、あとは子守歌代わりにエピソードを聞かせるという。
こうした名前は将来、遺産を受け継ぐために土地の状況を名前に託して覚えてもらうための手段だ。子供が大きくなり父親も死に、遺産の土地を見に行った時に、見知らぬ人が住み着いている場合がある。そうしたときにその名前と伝承が大きく役に立つのだ。その土地がどうして自分のものなのか、名前、場所の説明ではっきりさせることができるからだ。これは調べていないので、迂闊なことはいえないが、「裁判になっても有効な資料・証拠となる」とタリ教育大学でマネージメントを受け持つジェームスさんは説明する。彼らは文字を持たないので、口承で物事を伝えていく智恵がより発達したのだろう。
最後の「復讐を誓わせる」とは、生まれてくる前に父親が敵に殺された場合、名付けられることが多いという。
なにやら血なまぐさい話しだが、POLE(ポレ)=将来、(父を殺した)敵を皆殺しにせよとか、PEPE(ペペ)=将来、復讐せよ、が一般的な名前で、結構、多い。こうした場合、母親または親類が大きくなったら、子供に父親の敵をとってもらいたいという意味を込めてつけるのだという。
(ここの部族は戦闘的で現在でも日常茶飯事にあらゆることを原因にして弓矢や手製の銃で部族内で殺し合っている。このことに関しては後日、詳しくルポを載せることにする)
そういえば、数年前、日本で「悪魔」ちゃんという名前を届け出たが受理されずに、名無しのゴンベイ状態が続いているということが報道された。いろいろな名前の付け方から果ては戸籍のあり方をめぐる話しにまで広がった。
「悪魔」ちゃんという名前が適切なのかどうかはわからないが、パプアだったら絶対に許されない名前だったろう。
やはり名前は文化なのだ。