メラネシアで考える 第5話 ワントーク

メラネシアを旅していると、乞食や路上生活者が目につかない。豊かさの指数は必ずしも国民総生産(GNP)や国内総生産(GDP)の高低だけではないが、メラネシアは低い。いわゆる貧しい国に属する。
隣のエリア、東南アジアはメラネシアと同じようなGNP・GDPだ。にもかかわらず物ごい、路上生活者、ストリートチルドレンがいやというほど目につく。あまりにも違いがありすぎる。
メラネシアではバナナやヤム・タロなど豊富に採れるため、働かなくても食べることに困らない。がそれだけではない理由の一つにワントークというシステムの存在がある。
ワントークとはピジン語でWan Tok(一つの言葉、すなわち同じ言葉を話す同族という意味)で、英語のOne talkから来ている。一族郎党の血縁集団による人間関係といってしまったほうが分かりやすいかもしれない。日本でいうところの親子・夫婦・兄弟姉妹・親類・縁者の関係だ。たとえが悪いが、この関係にヤクザの兄弟仁義のメンタリティーを加えたものと理解してもらってもよい。
ソロモン諸島の首都ホニアラ。ワントークを頼り、多数のマライタ島出身者が出稼ぎにきている。主要な職業に就いているほか、土地を不法に占拠したりもしている。3年前、怒ったガダルカナル島民は武装組織をつくり、島から追い出しにかかるという事件に発展。「民族(部族)」紛争となり多数の死傷者と悲劇を国にもたらした。
ホニアラにはそれほど数はないが観光ホテルがある。従業員宿舎を完備しているところもある。この紛争中、マライタ島出身者はホテルに勤めるワントークを頼り、身を潜めていたという。あるとき、用事で宿舎を訪れたアジア系従業員は一部屋に十人近い親類が身を寄せ合っていたのを見つけたという。「困っているワントークがいれば助けるのは当たり前だ」といわれ、追い出すことができなかったという。
パプアニューギニア本島最東部の町アロタウ。この町で高校教師をしている一人は島出身者だ。毎週、島から若者が捕れたての魚を持参してくるという。遊びに来るといえば聞こえはいいが、小遣いを無心するのが目的だ。先生はこの件で特に文句はない。仮に文句を言おうとしても、言えないという理由もある。
貧しい地区では優秀なワントークの子どもがいるとお金を出し合ってさらに上の学校に通わせることが多い。先生はこの恩恵にあずかってきた。だからこうしたことに文句を言おうものなら、「だれのおかげで学校に行けたんだと思っているんだ」と言い返されるのがおち。
しかし先生の給料は月に500キナ(約2万円)ほど。島から毎週一人は若者が出てくる。そのたびにお小遣いとして五十キナを渡すので、実際、先生の手元に残るのは半分も満たない。やはり日本人の感覚なら文句の一つや二つもでてきそうなところだ。
先生が困ったり、働けなくなったりすれば、無心にきていた若者が先生の面倒を見たりするので、「お互いさま」という感覚のようだ。
このため個人主義という考え方は否定されているが、システムだけに目を向けると人間的だ。お金に惑わされず、損得で生きていない部分を感じるからだろう。
ヴァヌアツやパプアニューギニアの山中で車いすに乗った障害者を見かけた。場所も不便で道も舗装されていない場所だ。障害者をどのような目で見て、扱っているかは詳しくわからないが、少なくとも行政には余裕はなく、ワントークが支えて面倒を見ている。
このようにワントークはメラネシア社会では重要な役割を担っている。が、ここにきて崩れ始めていることも伝えておかなければならない。
金目当てを目的にした強盗や殺人事件がソロモン、パプアの首都で増加している。急激な社会変革による貨幣経済の浸透の「成果」でもある。お金は「損得勘定」の最たる考え方だ。不相応の金の流入は人を狂わせる。いずれワントークの良いシステムは過去のものとなるのだろう。ワントークによる山賊も出てき始めているという。伝統はどこまでお金の魔力に抗することができるのか。むなしい闘いが始まっている。