失われた日本

札幌もようやく春が来た。ソメイヨシノの開花も宣言された。街中のエゾ八重桜はほぼ満開だ。
最近、午前中は図書館に通うことにした。というのも、自宅で購読しているのは朝日新聞だけなため、その他の新聞各紙を読みたいからだ。その裏には新聞の何気ない記事を探るという基本をもう一度、始めようと思ったためでもある。

報道カメラマンになった時、写真の撮りかたをほとんど知らなかったが、生意気な表現かもしれないが、自分は何を撮影すべきかを心得ていた。それを具体化していくために新聞記事をくまなく読んだ。特に、当時は国際面が中心だった。どこかにこれから大きな山場を迎えるニュースは無いか、と短行記事まで追いかけた。
その時、5-6行の短行記事が目に入った。ハンガリーとオーストリア国境で有刺鉄線の取りはすし作業が始まった、という何気ない記事だった。東欧革命が始まる数ヶ月前。私は身震いを覚え、東欧社会主義国で何かが起きようとしていた、と行間から想像した。
まだ、当時は新米記者に毛がはえた程度。私の言うことを誰もまともに聞く人はいなかった。当時、面倒見の良いと思っていた先輩に、この話をした。
中国天安門事件の直後でもあった。先輩は私の話を聞き終えた後、「もう、天安門以上にすごい話は今世紀には無い」と感想を述べた。夏休みを利用して、先輩は中南米の取材を自費で行うと語り、私は東欧に行くと話し合った。
それから私は高校野球の担当となり、野球漬けの毎日を送りながら、東欧社会主義の情報を新聞から得ようとした。どんなべた記事からでも、その情報の裏を読もうとした。
そして夏の高校野球が終わり、帰京し、先輩から「お、野口の言っていた社会主義国の話だけど、企画を出したら、通ったで」と話、そして「でも、行くのは俺や」と続けた。
早い話が企画を先輩に盗まれたのだが、今思えば、私のわきの甘さだったためだ。もっともその先輩のことは今でも許してはいないが・・・・。
ともかく、私が予想したとおり、ドミノ理論のように社会主義国は次々に民主化革命を起こし、ベルリンの壁さえを倒した。
私は途中交代という名目で東欧革命の落穂拾いに出かけ、最後の山場のルーマニア革命には間に合うことができた。

その他にも新聞記事の行間から着想を得て、具体的な写真ルポをいくつもしてきた。

今、私が取材したいことは日本の足元のことだ。もっとも海外の戦争、難民にも興味はあるし、戦場取材は引退はしていないが、それよりも日本を、特に大手マスコミでは取材しても地味な扱いにしかならないような出来事を取材したいと思っている。私は新聞社を辞めた理由の一つにそのことがある。

ここ5年ほど、自分の初心を忘れていた。そのために、新聞記事行間の空想力を生かさねばと思い立ったのだ。
大手マスコミができない、自分しか撮ることしかできない写真のネタが次々に見つかっている。
と、同時に新聞社を辞めてでも撮りつづけたいと思った写真、「失われた日本」の着想がどんどんと高まってきた。