第2話 裁判所の場所取り合戦

入社したての頃(一九八六年)、東京地裁・高裁で撮影場所を確保するために変わったルールがあった。新聞、テレビのカメラマンは重要な裁判が行われる時に、検察、弁護人、場合によっては被告が、裁判所に入廷する場面を入り口で待ち構えて撮影する。入り口を挟んで各社最低2人が撮影に臨むのだが、このための場所取りが今思えば、笑い話になる。

入り口に近いところが絶好のポイントとされた。弁護側は隣接する東京弁護士会館から歩いて入廷し、検察側の多くは車で来て、入り口前で降りて裁判所の建物に入っていく。入り口に近いということは、それだけ長い間、撮影する時間とチャンスがあるということでもある。

そのため大きな裁判がある時は、日程は前もって分かっているために遅くても早朝、早ければ数日前から脚立を立てて場所取りをしていた。しかし、入り口前に脚立がずらりと並ぶ光景は見栄えが良くなく、利用者には甚だ迷惑なことでもあった。

そこで裁判所はひと知恵絞った。事前の場所取りをさせないかわりに、開廷の約2時間前をめどに裁判所の敷地ゲート前に報道各社を集め、そこをスタートラインとして職員の合図とともに一斉に走り出させて場所を確保させるようにしたのだった。

時間になると三十人前後のカメラマンがゲート前に集合した。裁判所の職員は黒と黄色の斑模様の綱をゲートに引いた。マラソンのスタートのように、各社は少しでも良いスタートを確保するために前に前にと詰め寄る。新聞・テレビのカメラマンはバッグがあると邪魔なために、脚立だけを右肩にかけている。脚立どうしがふれあうために、カチャカチャという音がひっきりなしに聞こえる。

裁判所の職員が綱を離すとスタートの合図だ。もちろん、声に出してもいう。

「いいですか。もうすぐスタートですよ。一〇秒前…5、4、3、2、1」

各社は一斉にスタートを切る。私は足には自信があったが、テレビ局は若いアルバイトのアシスタントが多かったので、足は彼らのほうが早かった。

裁判所の入り口までは百メートルくらいあっただろうか。抜きつ抜かれつの競り合いを制したものが、絶好のポイントを得るために、いい歳した大人が真剣に走った。

場所を確保すると一様にカメラマンは「ぜーぜー」と呼吸が乱れた。良いポジションを確保したカメラマンは得意満面だし、その反対は「何とかならんのか、このやり方」と愚痴をこぼした。

どのくらいこの制度がつづいたのだろうか。九〇年代に入ると、入り口正面に向かって右側はテレビ、左側は新聞カメラと整然とした暗黙の了解が得られるようになり、スタートを切っての場所取りは無くなっていた。

思い当たる理由が一つだけある。

当時(八〇年代後半)の東京新聞社のカメラマンは新規採用があまりなく、現場には四〇代、五〇代のカメラマンが裁判所の撮影に来ていた。朝日、毎日、読売、産経、日経の各新聞社、共同、時事の通信社は入社一~三年目の若手カメラマンが中心だったため東京新聞社には不利な条件だった。また、こうした制度に対応するため新聞社によっては場所取りだけのために若いカメラマンが派遣されていたくらいだった。

ある時、何の裁判だったか忘れてしまったが、東京新聞社の定年間近なカメラマンが場所取りに加わっていた。スタートして間もなく、脚立を右肩に構えたまま転倒してしまたため、右腕を骨折してしまった事故があった。

今、思えば、それからしばらくしてから、このような場所取り制度が無くなったような気がする。昭和から平成になる、自粛騒ぎの頃だったかもしれない。

一九九〇年代の半ばすぎ、この思い出話を先輩カメラマンとしていたとき、「そういえば、アメリカの大統領選挙に行った時、ホワイトハウス庭での大統領会見も同じようにカメラマンは走って場所取りをさせられていたよ。報道官の合図でね」と教えてくれた。

国は違っていても、どこも同じような制度が作られたようだ。