第3話 東京拘置所前のカラス婆さん

泣く子も黙る、と恐れられる東京地検特捜部。特捜部が動けばカメラマンも大量動員がかかる。「動く」とは、容疑者が逮捕されて、ガサ入れ(強制捜査)に乗り出すことだ。ところがいつ、どこで逮捕されるかまでは、夜討ち朝駆けで取材に苦労しても、司法担当の記者はなかなかつかめない。そこで、疑わしい場所にカメラマンが配置される。多くは、容疑者自宅、東京地検前、東京拘置所となる。

地検特捜部の一連の捜査で、容疑者が自宅で逮捕されることはほとんどありえない。任意同行で東京地検まで連れて行き、容疑が固まった段階で逮捕する。東京地検特捜部が捜査する線上に浮かぶ容疑者は、高級官僚、政治家、経済界の要人など、社会的地位が高い人ばかりで、自殺・逃亡のおそれが少ないためなのかは定かではないが、任意同行で取り調べの後、逮捕というパターンが圧倒的だ。

ところが、任意同行といっても、取調べは東京地検庁舎内で行うとは限らず、関連の施設を使ったりするので、この段階での写真はほとんどといってよいほど、撮れたためしがない。

そこで、カメラマンとして最後の砦は東京拘置所となる。ここは逮捕されると間違いなく容疑者が送り込まれるからだ。東京地検特捜部が何かの捜査に乗り出し、大詰めを迎えているという情報を記者がつかんで来た、または、「●×、明日にも逮捕へ」という新聞見出しが新聞一面を飾った、あるいは通信社のチッカー(ファックスのように常にニュース記事を送る機器)が「参考情報」「フラッシュ」を警戒音付きで流れると、デスクはカメラマンに、「おーい、小菅に行ってくれえ」と叫び上げる。

小菅とは地名で、東京拘置所がある東京都葛飾区小菅を指しているために、そう呼ばれた。

現場への到着が間に合わず、撮りそこなったこともある。こうした失敗を避けるために、新聞社、テレビ局はより早く東京拘置所前にカメラマンを手配するようになっていった。実際に逮捕される数日前から、東京拘置所正門ゲートわきに脚立を並べて待つことの方が多かった。リクルート事件がきっかけだったように思う。

脚立の上で緊張感を持って待機していても、正直なところ緊張感は長続きしなかった。「逮捕」という情報は、容疑者を乗せた車が拘置所に入る前に入ってくるので、それまではどこかに安心していた。しかし、やっかいなこともある。すなわち逮捕情報が無く、いきなり容疑者を乗せた車が拘置所に入ってくることだってあったので、のんびりとすることはできなかった。

「張り番」の生活と雰囲気に慣れてくるとどうしても、楽な方、楽な方に考えが行ってしまう。かといって、持ち場を離れるには勇気がいった。トイレに行くにも賭けのようなものだ。というより用をたしている間は「来ないで」という祈りにも近い。

カメラマンは、脚立の上に腰掛けて、首から三五~七〇ミリのズームレンズ付きの一眼レフカメラをぶら下げて待つ。カメラ機材には、スモークガラスをも透過させるだけの巨大なガイドナンバー(発光量の数値)のストロボが付けている。そのバッテリーは軽自動車のバッテリーの半分程もある。さらに肩や首にトランシーバーを掛けているために、重く感じ、地面に置いていた。正直、すぐに車が来ても撮影体制には入れない。

カメラを構え治し、ピントは目測。そのかわり、被写界深度というピントの幅を深くするためにレンズの絞りを絞り込む。バタバタして、撮ったのか撮れなかったのかは、経験で分かるのだが、臨戦態勢に臨むには、ベストは常にカメラを首からぶら下げて、別件で入ってくる車で予行演習をすることなのだ。が、一時間もすれば飽きてしまうので、やおら文庫本などを読んだり、脚立から降りて同業他社と他愛の無い会話をしたりして没頭する。中には携帯テレビやラジオを聞いたりするカメラマンもいるが、多くは逮捕情報が入るまで暇を弄んでいる、と言ったほうが正しい。

「気分」の問題だけなのだが、やはり現場を離れて、どこかに行くということはできない。しかしトイレの時だけは別で、「仕方がない」と小走りでゲートから二、三百メートル離れた公園に向かう。夕闇が迫れば、迎えの荒川の土手という手もあるのだが、多くはやはり公園を利用する。

冗談半分に、あるカメラマンがトイレから帰ってくる頃を見計らって、全員、撮影体制に入る真似をして、強力なストロボを光らせたことがある。件のカメラマンは大急ぎで駆け寄ってきて、「誰?だれが入ったの」と真っ青な顔をするので、「練習だよ」と答えると、真剣に「冗談はやめてくれよ」と怒った。

撮り損なうということは、カメラマンの世界では「重罪」にあたる。多くは一面、悪くても第一社会面に写真が掲載されるからだ。失敗は許されない。

撮影方法は「すかし」と呼ばれる技法だ。多くの容疑者は後部座席の真ん中に座らされて連行される。大方の目標をつけ、レンズを絞って被写界深度を深くして、大光量のストロボを発光させて撮影するのだが、ストロボのチャージが間に合わないために、撮影のチャンスは一度きりだ。タイミングが早すぎても駄目、遅すぎるのはなおのこと。慣れてしまえば、ある意味では簡単なのだが、そうはいってもワンチャンスのみなので、撮影時はいつも緊張して手に汗をかいてしまう。

今と違ってデジタルの時代ではないので、フィルムを会社までオートバイで届けてもらい、ネガフィルムを確認するまで、安心はできなかった。

逮捕され、容疑者が東京拘置所に送致される時間帯は、圧倒的に夕方が多かった。従って、夜の七時ごろまでに何もなかったら帰社した。言い換えれば、早朝から夕刻までは「暇」なのだ。

朝は出掛けに買ったおにぎりやサンドイッチを食べ、昼は会社から届けられる弁当か、近くで買う弁当屋で済ませる。食べて飲むと、生理現象は近くなるのは当然の成り行きだ。

ある日の夕方、我慢できずに近くの公園のトイレに用を足しに行って驚いたことがある。トイレの中に血痕が飛び散っていて、ところどころに鳥の羽根が落ちている。何事がおきたのだろうかと思ってみたが、現場にすぐに戻らなくてはならないので、「事件性はなし」という判断でトイレを後にした。

戻るとほどなくして、肩にカラスをのせた、少し風袋が怪しい婆さんが張り番をしている各社の前を通り過ぎていく。訳知りの他社のカメラマンが、「あの婆さん、カラスを飼っているみたいだよ。餌に生肉か何かを与えているようでさ。ほら、あそこのトイレ。婆さんが鳥をさばいているのを見たことがあって、気味悪くて使えなかったよ」という。

ははーん。犯人は婆さんか、と彼女の噂をしていると、「容疑者、逮捕」の無線連絡が入った。当時は携帯電話をショルダーバックのように担ぐタイプで、重く、不便なものだったので、あまり活用さそのかわりに無線機は大活躍していた。

その時は気がつかなかったのだが、別の時にもカラスを連れた婆さんが、各社待ち受けている「現場」を通り過ぎると、ほどなく容疑者逮捕の知らせが本社から届いたことがあった。それが二度、三度ではなかったので、以来、皆であだ名を付けた「カラス婆さん」が通り過ぎれば逮捕、現れなかったら何事も起きないという「神話」が生まれた。ある時、夕方までまだ時間がある昼下がり。カラス婆さんが通り過ぎて、各社、「まさか」と思っていたら、さすがにこの時は30分以上経ってからだが、「逮捕」の一報があったため、彼女の存在は「神話」以上に格上げされたこともあった。

「カラス婆、早く来いよ」「今日は来ないな」など、各社、暇にまかせて、好き勝手にカラス婆さんのことを口にしたが、まあ、よくよく後で考え直すと、丁度、カラス婆さんが散歩する時間帯と逮捕される時間帯が重なりあっただけの話。そうは言っても、「井戸端会議」ならず脚立の上に座りながらおしゃべりをする「脚立の上談義」には花を添えてくれたことは確かだ。

カラス婆さんを最後に見たのはいつの事件のことだったのか。すっかりと記憶を無くしてしまっているが、婆さん、今も元気に暮らしているだろうかなどと時々、思い出してしまう。