第7話 昭和の終わりは脚立の上から ~番外編~

皇居・東宮御所の張り番生活の話をもう少し。百十一日間に、本来の取材目的とは違い、様々なことが起きた。

その一つはストリーキング。これは実際に私が目にしたわけではないが、後で非常に残念な思いをしている。

張り番の交代を行った直後に起こった東宮御所前の「事件」だったのでなお更だ。当時の状況を再現すると、晴れた穏やかな晩秋。昭和天皇のご様態は安定していた。各社は門の動き(門が開くと皇族が出発するため)に神経を集中させていたために、周りの状況は気分転換で見渡すぐらいだ。そんな時に、脚立の上に座りながら、遠目に肌色の上下の服を着込んだ女性が走ってくるのが見えた。各社、ジョギングでもしているのだと思ったという。近づいてきても気がつかなかった。目の前を通過する時になって、初めて素っ裸だと分かり、あわてて脚立から降りてカメラ機材を構え直して走って追っかけた。警備をしていた警察も同じで、相当に慌てた様子だったという。

張り番は退屈な仕事だ。単調でもある。そのため刺激を求めたくなる。ストリーキングはうってつけの出来事だった。

しかし、各社は重装備で張り番勤務に就いているため、あわてて追っかけ、ストロボやバッテリーなどをズルズルと引きずってしまうはめになったという。

現場は大騒ぎとなったが、ストリーキングの写真、記事は、ほとんどの社は扱わなかったか、扱ってもベタ記事程度の扱いだった。それでも脚立の上談義には花を添えてくれた。

張り番生活の唯一の楽しみは、食べることだった。その年は秋雨が長く続き、異常に寒かった。そのせいもあったのだろうか。届けられる弁当もみな冷たく、口に入れると体の中から冷えた。張り番を始めた当初は、傘をさしながら脚立に座っての食事だ。だんだんと慣れてくると、近くで待機している車の中で食べた。しかし、動きがあると当然のことながら途中でも、食事をほっぽり出して現場(といっても目の前だが)に戻る。

張り番は最初の内は約12時間交代だったが、様態が安定してくると24時間交代になった。

朝に交代することが多く、朝食は持参するが、後は、昼、夜と届けられる弁当を頂くことになった。深夜にはおにぎりかサンドイッチも届いた。

人生の中で、これほど続けて出来合いの弁当を食べたのは、この時の張り番生活のみだ。

どれだけ食べただろうか。張り番をざっと九十五日間とすると実に約三百食。独身生活。しかも寮住まいだったので一家そろってという食生活ではなかったので、外食が多かったとはいえ、弁当三昧の日々には飽き飽きした。地球上の人口の半数が飢えていることを考えると、非常に不謹慎な話なのだが、こればかりは本音だから許して欲しい。

先の項で話に触れたが、何といっても紐を引くと暖かくなる弁当には感謝した。感謝はするけど、やはり毎日ともなると飽きる。

そこで、日替わりのように色んな弁当を工夫してくれたようだ。用意するのは原稿係りと言う編集補助のアルバイト学生だった。

カメラマンの中で人気があったのは、カレー。たしかTOPSというチェーン店のカレーだったが、暖かく、辛みもほどほどにあったので、心身ともに食事に癒された気がした。

しかし、もっとも多く届けられたのが幕の内弁当。作るお店が違うとはいえ、見栄え、味に変わりは無かった。こうした中で弁当に難癖をつけた先輩がいて、一時期、原稿係りから弁当の手配拒否を受けたこともあった。「食い物恨みは恐ろしい」とよく言ったものだ。もっとも写真部から詫びを入れ、最後は丸く収まったのだが、手配してくれている原稿係りもあれこれと飽きないように苦労していてくれていたので、怒りもなおさらだったのだろう。

ある時、週刊朝日グラフで、各社の弁当特集グラフという企画があった。中でもダントツに豪勢だったのはNHK。言葉は悪いが「公共放送で、税金と受信料で成り立っているのに」と怒ったこともある。NHKには私が毎日見ている限りでは、アルバイトの女性が数人で「お疲れ様です」と届けられており、あったかな味噌汁や、食後のコーヒーもついていた。怒りと言うか羨むついでに記すと、三時のおやつの時間もあり、やはりアルバイトの女性が届けていた。

張り番は寒さとの戦いでもあったので、暖をどうとるかということにも熱心になったが、その中で宅配のコーヒー屋さんを探し出して、みんなで割り勘にして飲むようにもなった。眠気覚ましにもあるし、暖かな飲み物はホッと一息つけた。ただ、問題はコーヒーには利尿作用があり、すぐにトイレに行きたくなることが難点だった。

夜は、慣れてくるに従って酒を各社で飲むようになった。始めは寒いから暖をとるという理由で、ちょっとだけ盃を交し合った。が、当時、張り番をしていたカメラマンは酒好きが多く、次第に飲む量が増え、最後のほうは毎晩のように酒盛りをしていた。今、振り返れば、東宮御所前の路上での酒盛りは、見る人が見ればすごく不謹慎だったと思う。

本も読むことができた。とにかく、時間はたっぷりとあった。私は主に推理小説、歴史ものを楽しんだが、中山介山の「大菩薩峠」全41巻を読んだ同僚もいた。半蔵門では「門番(=張り番)日記」というものが、引継ぎ帳のように書かれたが、中身は読書日記、弁当の内容が中心。もちろん、だれそれが、何時何分に入り、出たかなどの重要なメモ書きもあった。今、その日記はどこにあるのだろうか。昭和の終わりを別の側面で記録した貴重な資料となるのだが…。

また、携帯テレビは電池の消耗が著しく、受信状態もそれほど良くなかったのであまり使うことは無かったが、代わりにラジオを聴くのが楽しみとなった。脚立に座りながら、ラジオドラマに耳を傾ける日々。今ではほとんどラジオドラマは無いが、当時は、まだ番組として残っていた。音だけの世界。直接、視覚に訴えかける写真とは正反対の世界。映像がない分、声と効果音だけで場面を想像させ、楽しませる構成の巧みさに感心した。

こうして番外編を書いていると、本当に仕事していたの? と思われるかもしれない。本来は思い出の類なのかもしれない。しかし、こうした個人史的な出来事でも、ある時代の、ある風景として記録しておいても無駄ではないと思っている。