第8話 映画「鷲は舞い降りた」じゃないけど…

第二次世界大戦下のヨーロッパ。ヒットラーの命により、ドイツ特殊部隊は英国のチャーチル首相を誘拐しようと英国の寒村に忍び込む。そして・・・という感じでストーリー展開していく映画「鷲は舞い降りた」があった。

鷲(ワシ)はわしでも、私の一人称の「わし」は、甲府信用金庫の女子職員誘拐・殺人事件で、遺体発見場所近辺の静岡県富士宮市の富士川近くの荒れ果てた造成地のような場所に、新聞社のヘリコプターから降ろされたことがある。一九九三年八月半ばの暑い日だった。

事件は、甲府信用金庫大里支店に地元紙の山梨日日新聞社が発行する月刊雑誌の記者を名乗る男からの電話で始まった。男は金融機関に働く女性という特集をしたいと伝え、同信金は宣伝になると承諾。取材相手を指名してきたが、何の疑いもなく迎えに来たタクシーに彼女は乗り、業務命令で男の指定した場所に向かった。しかし、翌朝になっても女性は家に帰ることがなかった。

その後、男が身代金を求めてきたため山梨県警は誘拐事件と判断、マスコミ各社と報道協定を結んだ。しかし、身代金のやりとりで警察の不手際などがあり、誘拐から一週間後に静岡県富士市の富士川で彼女の遺体が発見され、警察は公開捜査に乗り出すこととなったため、報道協定が解除され、各社はこれまでの経緯を含めた事件の詳細を伝えることができるようになった。

報道協定とは、被害者の人命を尊重し、新聞・テレビ各社は誘拐事件報道を差し控え、家族ならびに周辺の取材もしないという取り決めだ。各社は誘拐事件の発生後、地元警察ならびに支局などで待機していた。

協定の解除で私は朝日新聞本社屋上のヘリポートからカメラ、脚立などを積み込んで現場へ飛んだ。

現場周辺の空撮後、ヘリは降りられそうな場所を探した。私は地上におりて現場に向かわなくてはならない。空から見ると、現場とちょっと先に何かの造成地のような場所があった。赤っぽい土が印象的だった。するとパイロットが「あそこに着陸します」と言いながらヘリは着陸態勢に。ヘリが着くか着かないかの段階で、パイロットは「急いで降りて」と言ってきた。

ヘリのプロペラが回転している時は、体を屈めて降り、その格好で急いでヘリから離れなければならない。降りてから再びヘリが上空へ飛び去るまでの時間はわずか五秒もなかったと思う。土埃が舞い上がり、パイロットたちが上空から手を数度振っていた。

と、ここまでは良かったのだが、周りを見渡すと人っこ一人いない。ヘリの音が遠ざかると、静寂の世界が広がった。

「ここは何処? 現場までの足は?」

困ってとぼとぼと、あてずっぽうに歩いて行くと、遠くのほうから土煙を上げながらトラックが数台走り寄ってくるではないか。「渡りに舟」とはこのことか、と思っているとトラックから男衆が降りてきて「ヘリはどこに落ちた?」と聞いてくるではないか。私は「ヘリは降りたけど、落ちていませんよ」と答えると、「いやあ、遠くから見ているとヘリが落ちたかと思った。そうか。落ちていないのか」と、駆け寄ってきた男たちは少しがっかりした様子だった。

今はヘリのこうした着陸は法規上、事故などの緊急性がないかぎりできないが、当時、パイロットたちは違反すれすれの無理をしてくれたものだった。ヘリが落ちたと勘違いされても仕方がない

で、事情を話してトラックの荷台に乗せてもらって(これも本当は違反だけど・・・)、国道だか県道まで送ってもらい、現場に向かうことができたのである。

その夜だったか、翌日に棺に入ってだかを今となってはすっかり忘れてしまったが、遺体が甲府市内の実家に戻って来る場面の撮影をした。

群がる報道各社のメディアスクラム。私もその中の一人だったので、決してメディアの行為などを批判できる立場にはなかったが、遺体のご帰宅とともに腐乱した匂いが辺りに立ち込め、母親の娘の名を叫ぶ声が夜空に響き渡った。

今でもその匂いと声を忘れられない。