第9話 やっちゃ場の風景 ~パチカメ~

「やっちゃ場」といわれても何のことかと思われるかもしれない。

新明解国語辞典(小学館)によると「東京地方の方言で青果市場のこと」を意味するが、カメラマンが使う時には、事件などで被写体を撮影しようと各社が入り乱れて、もみくちゃになる現場を指す。

青果市場は立会いなどで仲買、小売業者でごたついている。ポンポンと呼ばれる特殊な運搬車も頻繁に行き来し、怒声が飛び交うこともしばしある。そういった光景が事件現場のカメラマンに似ているために、いつからともなく「やっちゃ場」と呼ばれるようになった。

ちなみに関西方面では「だんじり」と呼ぶそうだ。有名な岸和田の「だんじり祭り」のように現場がごちゃつくために、そう名付けられたという。

大きな事件現場になればなるほど、投入される各社のカメラマンは多くなる。一社3人以上は当たり前の世界だ。そこにテレビ局も加われば、なおさらのこと現場は大混乱となる。

テレビは、入社したての年(一九八六年)には一クルー最低三人だった。カメラマンのほかに音声を録音するための「マイク持ち」、照明ランプを手にする「ライト持ち」が必要だったからだ。マイク持ちは、大きな録音と録画の両方の装置をタスキがけにしていたように記憶する。その当時のテレビカメラは、録画録音テープはカメラと一体になっていなかった。もちろん一体型のも出ていたが数は少なかった。

東京では、ちょっとした事件でも二十社以上の報道各社のカメラマン(雑誌・テレビ局も含む)が現場に駆けつけてくる。メディアスクラムという報道被害のことは現場に身を置いた経験から発生のメカニズムはよくわかるが、ここでは触れない。

話を現場に戻す。カメラマンは現場での整列を嫌う。少しでも他社より前に出て撮影がしたくなるのだ。ファインダーの中に、捉えなければならない被写体以外の邪魔者が入るのがいやなのだ。出遅れると、うじゃうじゃといるカメラマンの輪の中に入っていけず、彼らに取り囲まれている被写体がさえ見えなくなることが多々あり、まったく撮影ができなくなる。カメラマンは誰から何と言われようが撮影したもの勝ちなのだ。みみっちい言い方に直すと、撮影に失敗すると怒られ、現場からはずされてしまうという心理的な圧迫がある。

カメラマンの世界は体育会系で、知的ジャーナリズムの世界とはかけ離れている場合が多い。世間が思うほど高尚な世界の仕事ではない。知的に過ごそうとすると、逆に横槍をいれられてしまうのだ。

 

「カメラマンに頭でっかちはいらん。体で考えろ」

「新聞読んでいる暇があったら写真の腕をみがけ」

「全ては気合だ」

 

と、日ごろからこうしたことを先輩から言われ、撮影に失敗して閑職に追いやられるカメラマンを見たりすると、やっちゃ場はより激しくなる。

最初は容疑者の家の前に脚立を立てて、その上で整然として待っているのだが、何か動きがあるともう手が付けられない。多くは雑誌のフリーカメラマンが現場を乱していたのも事実だが、彼らのせいだけではなかった。

あとは嵐のような世界。人より一歩でも前に出なければと、出遅れた場合、隙間を探して強引に入り込もうとする。前にいる場合は「明け渡してなるものか」とブロックする。報道取材なのか、何かの競技なのか判然としなくなる。時間にすると二,三分の世界なのだが、すごく長く感じられる。

そして、この喧騒が過ぎ去った後にはテレビカメラマンと新聞カメラマンの罵り合いがあちこちで起こる。私もしょっちゅう喧嘩した。

テレビは先程説明したように、一台のカメラに複数人ついており、役割ごとの機材はケーブルで繋がっている。新聞カメラマンの側からする、よりとうっとうしく感じる。よくケーブルがひっかかったりして、あたかもケーブルが規制ロープのように中に入り込めないように見えてしまう。そこで強引に入り込もうとケーブルを踏みつけようものなら、テレビのカメラマンが一瞬、動きが封じられるために、お互いに因縁をつけあうことになる。ひどいテレビカメラマンになると機材でわざと小突いてくる。これが痛いのだ。そこで、やっちゃ場が終わったら、あとで仕返しをしようと考えるのだ。本当にカメラマンはどうしようもない。かくいう私もだが。

で、撮影中は被写体を追うのに精一杯になり、あまり構っていられないので、撮影後に目を付けた相手との喧嘩が始まるという仕組みだった。なんだかヤクザの縄張りを荒らした、荒らさないのの抗争にも似ている。

激しい喧嘩では蹴り合いも起きた。同僚のカメラマンは後ろから真空とび膝蹴りを決められた。普通は言葉での罵り合いなのだが、だれもが撮影を邪魔されると(本当は誰も邪魔していないのだ。カメラマンの数が多すぎて混乱しているだけなのだが)、怒りたくなるのはわかる。だから八つ当たりに等しい。

手足を出さない代わりに、当時の機材の弱点をつくという卑劣なやり方もあった。

今のようにテレビカメラのCCD(映像受像素子)は高品質ではなかったので、激しい光を受けるとCCDが焼きついてしまう。人間の目も激しい光を受けると網膜が焼きついてしばらく見えにくくなるのと同じで、こうなると10数秒以上は使い物にならなかった。そこで、ストロボをレンズに向けてフル発光するのが一つの手口だった。さらにはケーブルの線をわざと外してやるという悪辣な手もあったが、これはよほどのことが無い限りは使わなかった。

今は報道姿勢というのがうるさくいわれているので、現場でのののしりあいというのは無くなったように聞くが、昭和の時代にはまだ続いていた。

現場では新聞カメラマンは「パチカメ」とテレビカメラマンから言われていた。蔑称でもある。写真機のシャッター音がパチパチまたはパチリパチリと聞こえたためだ。機嫌の良い時はさん付けで「パチカメさん、そこ邪魔ですよ」だが、やっちゃ場になると「パチカメ、どけ。どけって言っているのが、わからんのかー。パチカメ」となる。

これも新聞カメラマンをやっちゃ場後に奮い立たせていた要因だったのかもしれない。