第10話 やっちゃ場の風景 ~十三年目の真実~

リクルート事件の政界ルートに関与した藤波孝生元代議士を一時、連日のように追いかけたことがある。こういうともっともらしいが、内情は彼の事務所の入ったビル下の駐車場で脚立に座りながら藤波氏の出入りを待ち受けていた、と書いたほうが正しい。

彼が秘書の「護衛」をつけながら車で戻って降りてから事務所に行くまでをパシャッ、事務所を出て車に乗り込むまでをパシャッ、とシャッターを切っていた。大勢のカメラマンが詰め掛けているので、ここもやっちゃ場の様相と化した。

自慢じゃないけれど、私は成人男性の平均身長よりも低いのでやっちゃ場と化した集団に潜り込むのが得意だった。出足の瞬発力で被写体の目の前に他社より先に踊り出ていた。それがまさか災いを招くとは思いもよらなかったのだが……。

五月のとある日(とても大事な具体的な日付を忘れてしまった)。小雨交じりで、私は赤いポンチョをまとい、藤波元代議士を待ち受けていた。二十人前後のカメラマンがいた。

昼頃だったと思う。藤波代議士が車で戻って来て、カメラマンは一斉に彼を取り囲みながら、後ずさりしていった。藤波元代議士の秘書は豪腕を揃えていたと聞く。

私は彼の目の前。絶好のポジションを確保していた。しつこく、しつこく彼の写真をバシャバシャと撮っていたら、いきなりファインダーの中に手が伸びて来たのが見えた。その瞬間、私は顔面に衝撃を受け、後ろに倒れ掛かった。私の後ろには大勢のカメラマンがいたので、まるで将棋倒しのように数人のカメラマンも倒れていった。

私の右側のメガネが割れ、激しく右顔面が痛い。場所をわきまえず、下品に

「おい、どうしてくれるのだ。メガネが割れたぞ。逃げるな、コラ!」

などと遠ざかる背中に向かって叫んだ。なおも納得がいかず、彼の事務所まで行こうとしたが、警備員に静止された。

撮影どころでなかった。私はひどく興奮していた。

その時だった。時事通信社の仲の良いカメラマンが「のぐっちゃん(私の当時の愛称)、顔から血が出ている」と言い終わらないうちに、私にレンズを向けてシャッターを切り始めた。「血が出ている」という言葉に反応したように、テレビ、新聞のカメラマンが私を取り囲み、撮影し始めた。テレビのインタビュー用のマイクまで突き出されている。

急に冷静になり、「まあ、カメラマンはこういった場面でけがをしても文句を言える立場ではないですからね」とか「カメラマンには怪我は付き物ですからね」とか、口走った記憶だけある。

時事通信社のカメラマンはティッシュペーパーを渡してくれた。血が流れているという右眉毛上をティッシュで押し当てると、確かに血がべっとりと付いた。額部分はちょっと切れただけでも血がたくさん出るようだ。

私は、まあ、秘書はカメラマンが邪魔だから露払いのように手で制し、たまたま顔面に当たったのだと思っていたし、決して故意ではなかったのだと感じていた。また、カメラマンなのだから、そういった現場ではケガをしてもしょうがないとも思ってもいた。

私は完全に冷静になり、各社をこうした理由でなだめ、引き揚げてもらい、オートバイさんを呼んでフィルムを本社に送り届けた。

そして他社と雑談をし始めた瞬間、私のポケベルがなったので、ハイヤーに付いている自動車電話(当時、一分百円という超高額な電話代だった)で写真部に電話をかけた。

デスクがすぐ出て、「おい、どうなっているの。時事通信のチッカー(ニュースをファックスのように流す器機)から君の記事が流れてきたよ。社会部や編集局長室もどうなっているのだと騒いでいるのだけど」と話してきた。

 

朝日カメラマン、殴られケガ

 

こういった見出しの一報が通信社から各社に送り届けられたようだ。

確かにケガはしたけど、それほどたいしたことではないからとほっておいたのだが、社会部の入れ知恵で、病院に行って診断書を取ってこい、と業務命令を受けてしまった。

まあ、あまり詳しく書いても仕方が無いので、短く書くと、診断は全治一週間だった。

それからがある意味で大変だったのだが、ちょうど朝日新聞東京本社写真部は、まだサンゴ事件(石垣島の世界最大のアザミ珊瑚にカメラマン自らが傷をつけて、報道写真をねつ造した事件)でごたごたしていた。そこに週刊誌フライデーからの取材の電話が入り、局長室から「また、写真部が何かしでかしたか」と疑われる始末。現場にいたフライデーのカメラマンが連続写真で私が殴られてから、倒れるまでの光景を撮影しており、その写真を掲載するために確認に来たのだ。私は取材に応対して、「いやあ、たいしたことはありませんから」と簡単にことの経緯を説明したのだが、その週だったか翌週だったか、電車通勤で中吊り広告を見ると目玉記事として「朝日カメラマン、殴られる」と見出しが躍っていた。雑誌を買い、読んでみると実名だったので参った。

水戸支局に勤務していた時代の飲み屋のマスターから知り合いまで面白おかしく電話してくるわ、あげくの果てに同期入社の女性記者から「野口君は卑怯だ。雑誌に頼らず、自分で告訴するのが筋だ」という厳しい手紙をもらったりした。

「違うのだって」と言いたいところだったが、事件の渦中に巻き込まれると何を言っても効き目はなかったが、まあ、そうはいうものの、一週間もすればみんな過去のことのように「そんなことがあったけ」程度にしかとらえなくなっていったので、正直、ホッとした。

で、まあ、この事件は結局、藤波代議士は在宅起訴されて終わり、私の周辺も静かになり、時は経ちに経って、二〇〇二年に驚くべき真実がわかった。

北海道の石狩市から元藤波代議士秘書だった男が出馬宣言したため、知り合いの記者が候補者調査票を書いてもらうために行った。候補予定者は雑談で調子に乗り、「昔、朝日のカメラマンを殴ったことがあるんですよ。新聞や週刊誌にも書かれちゃってね」と話をしたという。

記者は会社に上がって来て、たまたま古巣の報道部写真セクションにいる私を見つけると、「野口さん、今日、候補者の調査票を取りに行った時に、その候補者が昔、朝日のカメラマンを殴ったことがあるというけど、そんな話、知っていましたか?」と訊ねてきた。

私はびっくりして、「それ、俺のことだよ」というと、件の記者もびっくり。私はもう一度、彼に「その人は、確かに殴ったと言ったんだね」と確認すると、「ええ、自慢げに話していましたよ」というではないか。

私は、あれはあくまでも事故で偶然に殴られた格好になったと、ずーっと思い込んでいただけに、ある意味でショックだった。

そうか、やはり殴ったのだな。私は、それでもなんとなく愉快になってきて、その記者に昔あった出来事を話した。そして、「もし、その人の写真を撮りに行く予定があったら、今はフリーランスだけど、俺に依頼してくれない」とお願いした。

願いはかなわなかった。というのも、彼は民主党から公認候補として出ようとしたのだが、民主党もバカではなかった。昔のリクルート事件がらみの人物秘書を公認するほど廃れてはいなかったようだ。

「事件」から十三年目の真実は、ひょんなとこから現れ、記憶の底を擽(くすぐ)ってくれたようだ。