第11話 気分はとっても「スパイ大作戦」?

現在はデジタルの時代で、撮影した写真を送るのに手間がかからない。デジタルカメラからメモリーカードなどの記憶媒体を取り出して、パソコンに読み込んでから画像を確認し、それから携帯電話などの通信機器で選んだ写真を送信すれば済む。

しかし、ほんのちょっと前(一九九〇年代終わり)まではフィルムを現像して、写真電送機に選んだコマをセットして、電話回線を通じて送るという方法だった。入社したての頃(1986年)は、印画紙(キャビネサイズ)に焼いて(つまりプリントするということ)、ドラム型電送機という機械に写真を巻きつけて送っていた。文字通り中央部に直系七センチほどの円柱ドラムがあった。写真を電送する際、ドラムが回転しながら工学的にスキャニングされた。いずれにも電話回線を通じてアナログで写真を送っていた。

事件が起こると、現場近くの民家の電話回線を借りて送るのだが、日本国内なら問題はなかった。まだ、モジュラーというのが出回っていない時代でも、電話回線は中をばらすと基本的に二本の導線しかない。回線の引き込み部分か、受話器を分解して、その二本の導線をクリップでつなげれば良かった。

もっとも、これは本来、厳密な意味で法律違反だった。報道の緊急性ということで仕方がないことでもあったが、今となってはもう時効の話だろう。

一方、海外に出るとこれが厄介だったのだ。日本の場合だとホテルだと内線のシステムがあるため、せいぜい多くて内部の導線は三本だったのだが、海外では六本、八本というのがざらであった。

さすがに今は癖がなくなったが、つい最近まではホテルにチェックインすると電話機のコードをつなぐジャックを確認していた。「ほうほう、これはこういう形か」などいいながら、簡単に写真電送できそうか、どうかを判断していた。

社会主義国時代の東ドイツに出張に行ったときのことだ。ここは電話を申し込んでから日本まで繋がるのに、いったいどのくらい待たなければならないか、予想すらできなかった。早ければ十分。遅いとなると半日待つのが当たり前だった。

新聞社のカメラマンは、現場から写真を送ることができなければ、陸に上がった河童と同じで、いくら良い映像が撮れていたとしても、紙面に掲載されなければ何の意味もなさない。

国内と同じようにカラーフィルムの現像セットと写真電送機を持って、東西を飛び回るのだ。

東ドイツのベルリンのホテル。ここは八本の導線ケーブルが複雑になったモジュラージャックで、いつものように、ドライバーを使い、モジュラージャックの分解を始める。元に戻さなければならないので、配線の色から、その配線がどのように並んでいたかを克明にメモしておかなければならない。そして、電話として機能している大事な配線二本を見つけるために、順列組み合わせの要領で、一本ずつ、「ツー」と受話器を上げると音がする箇所を探すのである。みつかれば幸いなのだが、大概の場合、見つからない方が多い。そうすると、今度は電話機本体の分解にとりかかる。受話器は簡単にいうと、マイクとスピーカーのようなもので、そのマイクかスピーカーは二本の配線でしか結ばれていない。そこを取り外せば、理論的には写真電送ができるのだ。

が、ここで問題がまたもや浮上する。日本の昔の黒電話の受話器のように話口などをクルクルと回せば外せるというものでなく、ペッタリと接着剤でくっつけられているほうが多い。それはそうだ。どれも写真電送用に電話は開発されていないのだから。

そこで、今度は電話機本体をバラスはめになる。こうなると、もう、部品はどこにあるのか、このビスはどこの部分だったのか、という具合にぐちゃぐちゃになってしまう。

なんとか分解しおわると、やっとこさあ、「ツー」となる配線を見つけ出しても、さらにホテルの内線が通じることを確認しなければならない。ツーとなるだけで、ホテルの内戦電話がかからなければ(つまりホテルの電話交換室あるいは担当者を通じなければ)電話をかけることすらできないからだ。

両者完璧な配線を見つけ出し、ワニ口クリップでつなぎあわせなければ、写真電送できる体制とならないのだ。

傍から見ると、一昔前の海外テレビ連続ドラマ「スパイ大作戦」のワンシーンにも思えてくる。何とか掴んだ機密を、電話回線を利用して送ろうと、新開発された特殊な機械を使い……なんて感じだ

こういう時は、現像道具を風呂場に薬品とともに置いてあるので、さらに怪しく感じられても不思議ではない。

「さわるな」「このままにしておいて下さい」という張り紙をしておくのだが、何か悪いことをしているような気になってしまうことが多かった。

スパイだと通報されたらどうしよう、だとか、電話回線を勝手に触れることが法律違反になっているのかもしれないだとか、社会主義という国家体制が体制だけに考えてしまう。

別の社会主義国や軍事政権の国やスパイ活動に厳しく取り締まる国に出張に行ったときには、こうした不安はいつもつきまとっていた。

まあ、もっとも、一度たりとも通報されて大騒ぎになったことはなかったし、当局の目を掻い潜ってひやひやしながら逃げまどうようなドラマのようなことは起こらなかったのは言うまでもない。

でも気分だけは、とっても「スパイ大作戦」だったのだ。