第12話 大山鳴動して空撮一発

事件の時、新聞社のカメラマンは機動力で勝負する。特に地震などの自然災害では小型ジェット機、ヘリコプターによる空からの撮影は欠かせない。

札幌に勤務時代。北海道東方沖地震という大きな災害があった。最大震度は釧路で震度六、地震の規模はマグニチュード八・一で、平成の時代に入って初めてM八以上を記録した。幸い日本国内では死者は出なかったが、北方領土では特に択捉島の被害が大きく、一万人以上の島民がロシア本国へ移住しなければならなかったという。

地震は一九九四年一〇月四日午後十時二十三分ごろに発生した。この日、全道部会という会議が札幌市内の朝日新聞北海道支社で開かれていたため、管内の支局、通信局員はあいにく留守となっていた。つまり地震が起きた当時、被害地の記者は誰一人いなかったということだ。このことは、後に週刊誌に騒がれたことがあったのだが、その話は置いておく。

部会が終わり、同僚と小洒落たシャンソン・パブで飲んでいると、かなり大きな長い揺れを感じた。電話しても会社に通じない。直感で「これは大災害だ」と急いで店を出て社に上がった。被害の状況はまだテレビの速報等でも未確認だったが、こういう時は一刻も早く現場に向かうのがカメラマンの務め。そうはいいながら、車の手配とか写真電送や現像セットの準備などで、会社の四輪駆動車で現場に向かったのは、概ね地震発生から一時間後となった。

災害現場でいつも感じていたことだが、前線に向かう記者・カメラマンはどこに被害があるのかどうか分からない。支社、本社からの情報だけが頼りだ。北海道別海町方面の道が大きく陥没し、ひび割れを起こしているという情報をもとに、とにもかくにも現地へひたすら走り続けた。

北海道は広い。地図の上では近く感じるが、実際に地上を走っているとひどく遠い。札幌から別海までは大よそ三百キロ以上ある。東京―京都までの距離ほどもある。いくら北海道の一般道が高速道路並に走れるからといっても、峠あり、信号あり、警察の警戒ありで、みんなが思うほど飛せるものではない。

ようやく周りの風景が朝日に染まり始めた頃、現場近くに到着した。社中でNHKラジオの地震中継を聴いていると、地割れにスッポリと落ち込んだ車があり、救出を求めているらしかった。別海町といっても香川県くらいの広さがある。「どこだ、どこだ」と探し回るのだが、近くまで行くと土砂崩れやひび割れのため交通止めとなっており、迂回を余儀なくされた。迂回といっても一キロ、二キロではない。十キロ以上も迂回しなければならないのだから始末におえない。

忘れもしない、午前六時すぎ。車に搭載されている無線機に交信が入った。

「こちら、こまどり(朝日新聞社のヘリコプターの愛称)。地上の野口さん、聞こえますか、どうぞ」

声の様子から当時、九州の西部本社に勤務していたYカメラマンとわかった。返信をすると「えー、地割れの中に落ちた車の現場はどこですか、どうぞ」と聞いてくるので、「今、こちらは現場に札幌から着いたところで、わかりません。上空からの方が見つけやすいのではありませんか、どうぞ。えー、ついでに、どうして西部のYが、この上空にいるのだ、どうぞ」と答えた。

「未明に給油しながら飛んできました、どうぞ」

「あ、見つかりました。場所は●×◎あたりです」

聞いていると、だんだんと腹が立ってきた。こちらは地べたを這いずり回り、ようやく現場に辿り着いたと言うのに、「航空部隊」のカメラマンはすでに空撮後、現地に降りて取材を展開している。

一方、こちらは地割れで崩れた現場や壊れた家の写真を撮り、酪農家の民家で牛のわらにまみれていたものの、現像に適した温度の湯でカラーフィルムを手現像して、その民家の電話線を借りて写真を送ったというのに……。挙句の果てにはこれから写真を伝送しようと連絡を入れると、「あ、もう、東京から乗り込んだカメラマンが写真グラフも完成させたので、とりあえず、何も送らなくても結構です」と言われる始末。 情けないやら、悔しいやら。いったい何時間も車を走らせて何をやっているんだろうかと思ってしまう。

そういえば東京に勤務していたころ、先輩カメラマンが言っていたよな。「なあ、野口。でかい事件は地べたを這いずり回っても、空からの写真には勝てないよ。大山鳴動して鼠一匹じゃないけど、空撮一発だな」。

確かに言い得て妙。以外とトホホの現場取材も多いのだった。