第16話 国境物語その4  どうしてアウトバーンでスピード違反なの

一九八九年師走。ベルリンの壁は見事に崩れ去っていたが、まだドイツは東西に分断されていた。東ドイツは上辺だけ社会主義体制を維持していたものの、新しい民主化を求める政党が生まれ、議会などで自由活発な論議が繰り返されていた。そして毎週、月曜日にはライプチッヒは市民デモで盛り上がっていた。

当時、勤めていた新聞社の取材ベースは西ベルリンにあった。東側の、このような市民デモなどを取材に出かけるためには、いつもレンタカーで西側から東側へ越境、つまり国境越えをしなければならなかった。

借りていた車はフランスのちょっとだけ時代がかったルノー車。アクセルとエンジンの調子が相当に悪く、上り坂になると急にスローダウンしてしまうことを除けば、快適な走行だった。調子の悪いアクセルを思いっきり踏み込みと、徐々にではあったが百、百二十、百四十キロと加速していった。

私に撮っては初めてのアウトバーン。ヒトラーの遺産の中で唯一ほめられた高速道路だ。しかも、速度は無制限で無料。なんて素晴らしいのだ。鼻歌の一つや二つは出てくる。

これだけ勢いをつけておけば上り坂でも問題ないはず。ピークにさしかかる辺りではさすがにガクっとスピードは落ちたものの、車の不調をスピードが補ってくれているようだ。

ヘイヘイ。調子がいいぞ。もっと飛ばそう。なんたってここは東ドイツのアウトバーン。西側よりは凸凹が目立つけど、高速道路にかわりない。

百五十キロ以上は出ていたであろうか。突然、前方に大きめな逆三角形の旗(赤地に白い文字でHALT<独語で止まれの意味>と書かれていた)を道路上で掲げた警察官らしき人物がいるではないか。

危ないと思いながらブレーキを踏んで止まると、やはり警察官だった。

「やあ、こんにちは」と彼。

「こんにちは」と私。そして「何かあったのですか」と話し始めると「スピード違反です。五十キロオーバーになります」と答えるではないか。

「ええ、そんなこと知らないよ。だって、アウトバーンでしょ。アウトバーンと言ったら無料で、速度無制限で…」と抗弁すると、たった一言、「東ドイツのアウトバーンは制限速度が時速百キロです」。

あっちゃあ。聞いていないよ。そんなこと。

そう思う間もなく、「罰金は百五十マルクです」と追い討ちをかけるので、「まった、まった。そのスピード取り締まりレーダの数値は信用できない。日本では異議も唱えられるし、その場で払う必要もない」と訴えると、「ここは東ドイツです。東ドイツの法律に従って下さい」と言われる始末だった。

「そうはいっても、罰金を払うための東ドイツマルクの持ち合わせがない」というと。警察官は「西ドイツマルクでも可能だ」と言うではないか。

私は「おお、そうだ。今、東西の交換比率は一対三となっているはず。東ドイツマルクで百五十マルクということは、西ドイツマルクだと五十マルクで済むはずだ」と一人合点して、警察官に五十西ドイツマルクを払うと、「百マルク足りない」という。警察官は「確かに銀行での交換は一対三だが、ここでは通用しません」。

時間もあまりなかったので、しぶしぶ、西ドイツマルクで百五十を支払い、領収書を受け取った。

その場は、それで丸く収まったのだが、よくよく考えて見ると変な話だ。交通違反切符のようなものもなければ、免許証は見られたが、とくに取り調べられるようなこともない。何かだまされたような気がしてならない。

あの百五十マルクはちゃんと国庫に収められたのだろう?それとも……。

もっとも帰国後、速度違反の領収書をさりげなく精算の時に紛れ込ましたので、こちらには「実害」はなかったのだが、向こうの警察官よりあくどい手口だったのかもしれない。といっても、もう時効だから勘弁をしてもらおう。