第17話 国境物語その5  恐怖のエレベータ

一九九四年の夏。北方領土沖を震源とする「北海道東方沖地震」の少し前、ロシア警備艇による日本漁船への威嚇発砲が続いている事件の取材で根室を訪れていた。仕事後の夕刻、同地のK支局長(当時は通信局長という名称)と隣町の温泉に疲れを癒しにいく予定をたてていた。

電話をかけて、「じゃあ、下に降りて待っている」と部屋のあるホテル5階からエレベータに乗り込んだ。余談になるが、当時の根室でエレベータのある建物は市役所とグラウンドホテル、病院くらいだった。私の宿泊していたホテルは新しくできたビジネスホテルだった。

乗り込んで、順調に(当たり前の話だが)下に向かっていったのだが、3階を過ぎたところで、ものすごい立て揺れの振動に襲われ、エレベータは急停止してしまった。

以前にもカンボジア、エジプトと発展途上国でエレベータに閉じ込められたことがあるので、それほど慌てることもなく、むしろ冷静なくらいに、非常時の緊急連絡のボタンを押して、外部との交信に務めようとした。

ボタンを押すと、電話のような呼び出し音が数回続き、相手が出て対応をしてくれた。「どうしました」という第一声だったような気がするが、いま思えば不思議な会話をかわした。

こちらはとりあえず、自分がエレベータの中に地震の影響で閉じ込められている状況を説明すると、「わかりました。すぐに向かいます」と言って、通話が切れた。

文字通りに「すぐ」に助けにきてくれるものだと思い、人の何かする気配に神経を集中させてみたが、一向に何の動きも感じられない。いったい、ここのホテルの従業員は何をもたもたしているのだろうか、とぼやきながら一分、二分と待った。こうした状況では時間が普段より長く感じられるが、少なくとも十分以上が過ぎたころに、ちっとも動かそうとする気配が無いことに腹がたち、もう一度、非常緊急連絡用のボタンを押して、外部との連絡を取ろうとした。

出た相手に「すぐに」という話だけど、いつになったら来てくれるのか、と文句を言うと、相手は「あの、道路の状況しだいでして」というので、メンテナンス会社の都合もきっとあるだろうから、「じゃあ、どのくらいで来られるのか」と優しく聞きなおした。

すると「早くて三時間、ひび割れなどがあると、それ以上でどのくらいになるか分からない」と答えるではないか。

私は耳を疑ってしまった。

「え、いま、なんとおっしゃいましたか?」

「ですから三時間は少なくとも見てもらわないと」

「……あの、失礼ですけど、私、どこの誰と話しているのですか」

「エレベータのメンテナンスを請け負っているものです」

「……? あの、どちらの?」

「釧路です」

「クシロ!!!??? 釧路からくるのですか。根室じゃないのですね。困ったけど、それより第一、私がエレベータに閉じ込められていることをホテル側は知らないのですよ。まず、お宅からホテルに連絡してもらえませんか」とお願いした。

すると今度は一分とたたないうちに、エレベータのインターフォンからホテル側の責任者の声が聞こえた。「大変、失礼しました」とまず、謝罪があったが、私はそんなことより、ここからどう、脱出するかの方が大切だったので、「出る方法をご存知ありませんか」と尋ねた。

ホテル側の説明によると、エレベータの扉は中扉と外扉の二重構造になっている。中扉を手動で明けるためには、扉を左右に強引に開けばよいとのこと。だが、手を離すと、バネで引っ張られているかのように、勢いよく閉じてしまう。そこで、左足を伸ばして左ドアが閉じないように防ぎ、右手で右扉を開けることにした。

外扉は右上部にストッパーのようなものが付いているので、それを緩めると簡単に開くとのことだった。が、幸いなことにエレベータは二階と三階の途中で停まっていたため、上部にあるストッパーにも簡単に手が届いた。

しかし問題は抜け出そうとする時だ。エレベータが突然、動き出して、すり抜けようとした時に体がはさまれてしまう怖れがあったので、ホテル側に絶対に(エレベータを)動かさないように電源を切って欲しいことと、すり抜けるために手助けして欲しいことを伝えた。

抜け出そうとするとき、勢いよく反動をつけないと、中扉に体、足がはさまれてしまう。そこで、ホテルの従業員に何とか、手で固定してもらい、自分の体を引っ張りだしてもらった。

何とか、脱出に成功したのだが、いま、思えば、恐ろしい体験だった。

一つ目は、自分がエレベータに閉じ込められている状況をホテル側が知らなかったこと。 二つ目は、遠距離とのメンテナンス契約依頼のため、もし、ホテル側が脱出方法を知らなければ、あるいは高齢者で扉を自身の力で強引に開けることができなかったら、何時間もエレベータに閉じ込められっぱなしだったこと。そして三つ目は、エレベータが脱出途中に急に動き出してしまったかもしれないこと。

今となったら笑い話かもしれないが、これで小便や大便をがまんして、エレベータに乗っていたら、さらなる恐怖が待ち受けていたかもしれない。