第20話 国境物語その8  医者の代わりに呪術師参上

カンボジア内戦では三百万個とも千万個とも言われた地雷が仕掛けられた。通常、地雷を敷設する際、どこにどれだけ敷設したかを戦略的に記録されるのだが、紛争三派入り乱れて内戦の続いたカンボジアでは、文字通り「手当り次第」に仕掛けられていた。

多くは中国製のプラスチック地雷だったため、地雷探知機では見つけることが容易ではなかった。また、雨期で流れ出した地雷は農地に流れ込み、子供、農民など気がつかずに触雷してしまい、手足等失う人が続出していた。

地雷は和平が訪れたカンボジアの復興に大きな足かせとなり、新たな災いをもたらしていた。

そのため国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)のPKF部隊部隊の任務の一つに、地雷撤去があった。

地雷はカンボジア西部に特に多く、そのためタイ国境から順次、地雷除去が始まっていった。

時は一九九二年三月。乾期も終わろうとしていた頃のため、一年で最も暑い季節でもあった。最高気温が軽く四〇度を超える日々が続いた。

そうした中で、私はタイ軍地雷除去部隊にくっついていき、その光景を写真に納めていた。

カンボジアの子供たちは無邪気にも、地雷除去するタイ軍の周りに集まり、写真を撮影していた私はハラハラし通しだった。その反面、「これが現実」とばかりその様子を撮り続けた。

早朝からの地雷撤去初日の作業は昼過ぎに終わった。それまで私は水分を採ることも忘れていたらしく、タイ軍から作業後、ようやく初めて凍り入りの冷たい水をいただいた。体に水がしみ込んで行くのがわかったほど、私は水に植えていたようだ。一旦、水を口にすると、まるで餓鬼となり、何杯も水を貪った。

一息ついたので、私もガイドとカンボジアイ第二の都市バタンバンの宿に戻った。夕方四時頃だったが、ちょっと早い夕飯にすることにした。何しろ、この日は朝から何も食べていなかった。

ビールを注文し、一口飲み始めると、かえって喉が渇きだした。自分でも恐ろしくなるような勢いで、ビールを何本も飲み干したのだが、しばらくすると猛烈な吐き気がおそってきた。

トイレに行って吐いては、またビールやコーラを飲んだ。

体は水分を受付けなくなっていたが、のどの渇きは一向に癒されない。そのうち、体に異変が起き、そのままイスに座っていられなくなった。

一足先に部屋に戻ったが、それからが大変だった。下痢も始まった。水分補給、嘔吐、下痢と続き、体が衰弱していくのがわかった。

私はガイドのモチ君を呼び、「悪いけど、医者を捜して連れて来てくれないか」とお願いした。

その間、私は意識がだんだんと遠のいていった。

しばらくすると、モチ君が女性をつれて戻って来た。朦朧としながら女性を見ると、手には数珠と占筮(細い竹で占いに使用する)を握りしめている。首には怪しげな数珠玉が何連にも巻かれている。

どう見ても医者ではなく、呪術師ではないか。

私は弱々しい声でガイドに「申し訳ないけど、お引き取りしてもらってくれ」と一〇ドル紙幣を手渡した。

呪術師の役割を否定したわけではないが、危急の時でもあったので、私は現代医学を求めてしまった。

数日前に知り合っていたドイツ軍医(当時、ドイツは海外派兵が憲法で禁止されていたが、その医者は休暇を取ってボランティアとして医療活動を行っていた)に助けを求めた。

血圧は上が七〇を切り、下も四〇そこそこだった。ドイツ軍医は厭わず往診に駆けつけ、原因を探ってくれたようだ。

血圧を上げる注射をしてもらい、ポカリスエットによく似た味の水を大量に飲むように指示して、「熱中症で脱水症状に陥っている。危ないところだったけど、もう大丈夫。ひと眠りすればすっかりよくなると思う」と話した。

後日、その話を知人にすると、「せっかくなのに、その呪術師に診てもらったらよかったのに。どのくらい効き目があったかもしれたのにね」と大笑いされたが、さすがにその当時の状況は冗談ではすまなかった。