第21話 たかが透かし、されど透かし

地検、警察、拘置所へと容疑者が連行され、内部の様子を車の窓越しに撮影することを「透かし」または「透かし撮り」という。何時間も脚立の上に座って待機していようが、撮影チャンスは文字通り、ワンシャッターしかない。

ミニカムと呼ばれる大光量発光のストロボを使うために、一度、光らせてしまうと次のチャージまでが間に合わないのだ。それに車もカメラマンの前を一瞬にして通り過ぎてしまうので、仮にチャージが間に合ったとしても、すでに被写体は遠ざかっている。

ちなみにミニカムは、滑走路の誘導灯(そう、あの滑走路の脇でピカッと光っているやつ)を作っている会社でもある。

容疑者は後部座席の真ん中に座っていることが多い。両脇を刑事、検察官がガードしている。ピントは目測。車の動きに合わせて、流し撮りのように後部座席の窓に照準を定めて、真正面に来たところで「エイヤー」と気合を込めて撮るのだ。

ところが、政府高官など社会的地位が高い容疑者の場合、容疑者に配慮して、窓に泡のスプレーを吹き付けて中が見えないようにしたり、カーテンをしていたりする場合が多かった。こういう場合に備えて、車の正面、つまりフロントガラス越しに「透かし」撮りをしようと試みるが、何度も撮影をしていると、地検もさすがに抜け目ない。なんと後部座席と前方座席の間をカーテンで間仕切りして、後部座席中央に座っている容疑者を撮らせないようにするのだ。

兎も角、こうした「透かし」をカメラマンがするようになったのは、昭和天皇の病状が悪くなり、病院に向かう御料車を共同通信社のカメラマンがミニカムで撮影に成功したことからだった。

それ以前は、「接近戦」といって、ワイドレンズを付けたカメラを手にして、容疑者の乗った車の窓にへばりついて、普段使っているストロボを発光して撮る方法しかなかった。キッチリと写ることの方が少なく、ちらりとでも容疑者の顔が写っていただけでも、「よくやった」と褒められたものだ。しかし、この「透かし」撮影方法が定着してからは、容疑者がポートレート写真のように撮れていて当たり前という世界になってしまった。

写ってなかったらどうしよう、という緊張感の方が先にたってしまう。

フィルム時代は現像するまで写っているかどうかは分からなかったので、現場で撮影済みフィルムを会社まで受け渡してくれるオートバイさんに託してから、帰社するまでは頭の中は「写っているはず」「もし写っていなかったらどうしよう…」などと混乱しきりだった。

接近戦の時は、失敗するほうが多いというより、撮れないカメラマンの方が多いので、いくらでも言い訳はできた。窓の位置を確保するためにカメラマンは体を文字通り張って撮影に臨んだ。

リクルート事件の時、NTT会長だった真藤恒氏がコスモス株を不正に譲り受けていたとされていたため、逮捕まで秒読み段階にあったので、連日のように張り番をして、彼を追いかけていた。接近戦ゆえ、車に足を踏まれそうになったり、ころんで後続の車にひかれそうになったりしたこともあった。ボンネットの上に乗るカメラマンもいたほどだ。今では考えられない撮影だと思う。こうした撮影をしたカメラマンは非難の対象になるだろうし、会社自体もそのカメラマンを守ってくれないだろう。「いきすぎた取材行為」ということで、そのカメラマンはばっさりと切り捨てられるだけだ。

透かしで悔しい思いをしたことは多いが、忘れられない事件があった。オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚が山梨県の上九一色村の教団施設に隠れていたところを逮捕された時のことだ。機動隊が電動カッターなどで扉を火の粉を散らしながらこじ開けていたころは、撮影ポイントしてはばっちりだった。正面の裏山からは連行されていく様子が見えるはずの位置だった。ところが、機動隊員らが次々と施設の中に突入し始めたと同時に、霧が立ち込め、まったく何も見えなくなってしまったのだ。

それから一、二時間後、各社の無線機から一斉に「麻原逮捕」の知らせが鳴り響く。現場はまだ深い霧が立ちこめたまま。「これはいかん」と場所を移動して麻原を乗せた車(ワゴン車だったが)の透かし撮りに備えた。ところがどれに乗っているのかさっぱりわからない。それらしい車に向かって、バシャッ、バシャッとシャッターを切り続けたが、結局、撮影に失敗した。

ところが撮影にばっちり成功した社があった。山梨日日新聞社のカメラマンが高速道路のインター入り口で待機して、正面から連行される姿を撮影していただの。写真はスクープとして取り扱われ、その年の新聞協会賞を受賞した。

たかが透かし、されど透かしである。