第24話 脚立以前の話その3 28ミリマンって誰

初めての入社試験に落ちた後、知り合いの喫茶店のオヤジさんに声をかけられた。

「そうか、野口君、しらないところで写真を勉強していたんだね。知り合いのカメラ雑誌の編集者がバイト君を探していたので、君の事を話しておいたから」と言われた。

あっちゃあ、ありがたいことだけど、写真、知らないんだよね。

兎に角、編集者と編集長との面談の約束の日が来た。編集長はとっても人のよさそうな顔をしていたが、突っ込みが結構きつかった。「ふーん、話を聞いていると、本当に写真のことを知らないようだね」と言われてしまった。ああ、これでバイトの採用も無しかと思っていたところ、「ま、ここで勉強してもらってもいいから」と声をかけていただいたのだ。

バイト先は学研から発行されているカメラ雑誌CAPA(キャパ)編集部。

仕事の中身は読者投稿のハガキを原稿用紙にまとめることから始まった。やがて取材まがいなこともやり始め、と同時にカメラの扱い方などを先輩などから教えてもらった。

バイトに馴染んで2ヶ月ほどが過ぎたころ。読者のスペース(通称・読スペ)のコーナーに新企画が持ち上がった。

二八ミリレンズ一本で色々な現場に撮影に行き、短いコラム(というほどのものでもないけど)を書くという企画だった。名づけて「二八ミリマン」。

初仕事は当時アイドル歌手だった松田聖子の婚約記者会見。オリンパスのカメラに二八ミリレンズを付けて、会見場のホテル・ニュー・オータニに向かった。

初めての現場。ルールなんか知らない。とにかくものすごい数のカメラマンが来ていた。撮影できるスペースがない。チョロチョロと動き回ってはパシャリ。人の間に入りこんではパシャリ。手を高くかざしてノーファインダー撮影でパシャリ。

ものすごく鬱陶しく見えたのだろう。そのうちカメラの機材で「邪魔するな」と怒声とともにゴツンと頭を殴られてしまった。しかし、怯んでいられないので、また現場に突入して何とか無事に会見取材(というより野次馬の覗き)を終えて、編集部に戻り事の顛末を話すと大うけ。「そうか、殴られたか。仕方がないな」などみんなニコニコしている。

なるほど、二八ミリマンはかくいう突撃カメラマンたるべきか、ということで企画は続行されることになった。

 

巨匠のアンドレ・ケルテスが来日しているときに、CAPAの雑誌を手にしてもらい、二八ミリで撮影して編集部に帰ってきたときには、一同は唖然とした。本当に巨匠がCAPAを手にして記念撮影に応じてくれたのかと皆信じられない様子。あげくの果てに「何も知らないということは恐ろしいことだ」と褒められているのか貶されているのかわからない言葉を多数いただいた。余談だが、この撮影の翌年に巨匠は世を去り、この写真は貴重な写真となってしまった。

北海道に勤務時代。後輩(当時二十代後半)に思い出したように、「そういえば、中高時代にCAPAというカメラ雑誌を読んでいなかった?」と声をかけると「毎月、購読していました」との返事。「では、二八ミリマンって覚えている?」と聞き返すと「もちろんですよ。あの、バカバカしいやつですよね」と答えるではないか。

「実は、二八ミリマンは僕がやっていたんだよ」と暴露すると「へえ、知らなかった」非常に驚かれた。

ともあれ、こんな具合で楽しいカメラ雑誌での編集仕事をしながら「脚立以前」を過ごしていた。