第25話 戦場のもう一つの風景その1 ~ポル・ポト派兵士と味の素

一九九一年一〇月、パリでカンボジア紛争三派による和平協定が調印されて、同国で二十年以上にわたった長い内戦が終結した。直後から国連はPKO(平和維持活動)に乗り出し、カンボジアの再生国つくりが始まった。

パリ和平からひと月後、自身にとって長期にわたるカンボジアの取材にかかわるようになった。

何回目かのカンボジア取材。ポル・ポト派は和平協定を遵守せず、支配地域を守り武装解除にはまだ応じていなかった。AMDA(アジア医師連絡協議会)の若い日本人医師の活躍の取材を兼ね、ポル・ポト派がまだ支配する地域に潜入した。日本人医師はかつての紛争三派を分け隔てなく診療していた。時には同派地域にまで入っていたというので、同行したのだった。

場所はプノンペン南西部に隣接するコンポン・スプー州。首都から車で二時間ほどの地域であった。国連の文民警察官も同行してくれた。

ポト派の兵士は緑色のハンチングハットに似た戦闘帽が特徴で一目で「おお、ポト派兵士だ」と分かる。彼らは診療所になかなか訪れることがないため、AMDAの医師は支配地域まで出張診療に出向くのだ。出張診療と書いたが、実態はパトロール中のポル・ポト兵士に出会ったら様子を聞き、診察すると表現した方が正しい。

多くの兵士はカラシニコフという軽機関銃を肩から下げているが、中には対戦車ロケット砲と予備砲弾を幾つも担いでいる兵士もいる。もっとも怖いのは数本の迫撃砲を蔓で束にして結んで無造作に持ち歩いている少年兵に出会ったときだ。ポンと自分の方に投げられたときには、「ああ、爆発するー」と寿命が十年分も縮んだ。

ロケット対戦車砲の筒に色鮮やかなクメール・クロマー(カンボジアの織物)を結びつけて歩いている少年のようなあどけない顔立ちをしたポト派兵士に出会った時のことだ。

なぜか気になって、「中に何が入っているの?」と通訳兼ガイドを通じて聞いてみた。通訳君は肝心な英単語がわからず、カンボジア語でミンチェと繰り返した。

大まかに訳すとこういうことだった。

「近くに市場があり、ミンチェを買出しに行き、また戻るところです」

「で、そのミンチェとは何なの?」と聞き返すと、困った顔をしながら地面に絵を描き始めたのである。

はじめは米粒のようなものを多数書いたので、「ああ、お米ね」と合点すると「違う」という。さらに絵を描き続け、「シラミに似ていて、色は白」と言われた時には、混乱の極みに達してしまった。

「シラミに似た食べ物??????」

いくら想像力をたくましくしても分からない。あげくの果てには「なるほど、カンボジアではシラミは大事なたんぱく源なんだ。長い内戦の食糧難で身に着けた知恵か」なんて失礼な考え方にまで及んでしまった。

で、次に出てきた言葉が「塩に似ている」だった。

私は「うーん、うーん」とうなりながら考えたが、その場では結局わからずプノンペン市内の取材ベース、パイリン・ホテルの事務所に戻ってから謎が解けた。

通訳くんは、事務所内にあった調味料を持ってきて「これが、ミンチェ」と誇らしげな顔をするのだ。よく見ると、なんと味の素。ジャングルで孤立しながら戦い続けるポト派の楽しみは味の素で味付けされた料理だったのだ。

二十年以上の内戦にもかかわらず、味の素は弾薬とともに欠かさず、ジャングルの基地にもたらされていたのだろう。

「さすがに腹が減っては戦ができぬ」か。

こんな格言を思い起こさせるミンチェ騒

動でもあった。