第27話 その脚立、幾ら?

私は背が低い方だ。日本人の平均より下回っている。そのため私にとって脚立は、人が入り乱れる現場などで欠かせないアイテムとなる。

他のカメラマンに被写体を遮られる事無く見晴らしが利き、撮影しやすい。特に海外(主に欧米)では、背丈が高い人が多いためになおさら必要となる。

と書きながらも最初、私は海外に脚立を持っていくことをためらっていた。何しろ、先輩が海外出張の際に脚立を持っていったためしがない、移動の際にお荷物となるかもしれないという消極的な理由からだった。そのために自身の最初の海外出張では脚立を持っていかなかった。

が、次からは持っていこうと心に決めた出来事が起こった。

東欧革命がひと段落し、「民主化」を達成した東欧諸国はそれこそ共産主義体制をしかれてから何十年ぶりとなる自由選挙となった。

ハンガリーでの自由選挙の時、どうしても脚立が必要と思った。ごたつくだろうし、変なもので脚立があると現場で安心ができる。

現地で日本製のような軽くて丈夫な脚立を探し出すことは難しかった。何しろ「革命」を達成したといえ、西側の品物がそれほど揃っていないからだ。

そこで通訳・ガイドを伴って、とにかく脚立探しに出かけた。

ブダペスト市内には日本のような日曜大工用品店などない。どこをどう回ったかすっかり今となっては忘れてしまったが、職人向けの大工道具ならを扱っている所に脚立は売られていた。

一目見て、買うか買わないか正直言って迷ってしまった。日本で普段使っている脚立はアルミ製で、二段か三段。しかも軽い。ところがようやく見つけた脚立は木製で、ずしりと重い。高さもたたんでも最低一六〇センチほどもある。しかもなんとなくグラグラし、頼りない。

カメラマンの使う脚立は携帯性が何よりも重要だ。重い脚立をエッチラオッチラと運んでいては機動性に欠けてしまう。

しかし、ここまできたら背に腹は代えられない。日本円で五千円以上したかもしれない。購入したまでは良かった、車に乗り切らないため、ロシア製乗用車ラダーのルーフに結わえ付けて投宿先のホテルへ向かった。

私が脚立を運んでいるのをドアボーイが見ていた。最初は何やら不思議なものでも見るような目つきだったが、次の瞬間には笑っている。

「そんなに脚立って珍しいのかよ」とこちらが思っていたら、ボーイは近寄ってきてベルボーイと一緒に運ぶのを手伝ってくれた。それくらい重く携帯性が悪かったのだ。

後日、その脚立を持って、投票所に行くとベストポジションには地元のカメラマンがついていた。大勢のマスコミのカメラマンがいる。

使いづらいながらも、さすがに脚立の面目躍如、と私は思った。何しろベストポジションを後方ながら確保できたからだ。

各国のカメラマンは私の一挙手一投足を見守っていた。カメラマンの列の後方に脚立を立て、登ってカメラ位置を確認するとなぜか、カメラマンたちは「おお!」と歓声を上げた。東洋から来た背の低いカメラマンの動きと、現場での脚立がよっぽど珍しかったのだろう。

撮影自体はそれほど特筆すべきことは無かったのだが、地元の新聞・通信社カメラマンは、撮影後に「俺にも登らせてくれ」とばかり入れ替わりながら登った。

その光景を見つめながら、次からはちゃんと脚立を持参しようと肝に命じた。

後日、帰国して再び訪れた東ドイツでの自由選挙取材は、しっかりと日本製のアルミの機動性ある脚立で臨むことができた。

この時はあまり脚立がカメラマンの注目を浴びることはなかったが、その代わりといっては何だが、取材で肩に担ぎながら移動していると、職人さんから何度も声をかけられた。

「いい脚立だな。一度、登らせてくれ」と言われるたびに、多くは「軽くて、使い勝手のよい脚立だな。このような脚立はわが国では手に入れられない」と話した。そして挙句の果てに、「幾らなら売ってくれる?」と値段交渉をし始めるのだった。

確かにハンガリーで使っていた木製脚立では使い勝手は悪い。欲しがるのは良く分かる。「取材で必要なので」と断っていたが、「帰国するときでいいから売ってくれ」と執拗に迫ってくる人に最後に根負けして、タダであげてしまった。(もっとも会社の脚立だったので、売って懐に入れるわけにもいかなかった)

一昔前の社会主義国は西側のタバコかジーパンが高値で売れたと聞いたことがあった。下品な話で恐縮だが、マルボロ一箱がワン・ファックとも言われていた。

日本に住んでいるとたかが脚立だが、ここでは「されど脚立」(何のこっちゃ?)と思った。