第29話 写真電送機にもてあそばれて…

デジタルカメラが普通に使用される以前、カメラマンは撮影したフィルムを自分で現像し、その中から幾つかコマを選んで、電送機にそのコマをセットして電話回線で写真をアナログで送らなければならなかった。

詳しい電送のシステムは分からないが、私が入社したころの写真電送といえば、家内制手工業のような作業が必要だった。

当然、使うフィルムは白黒。撮影後、高温の液で短時間フィルム現像をして、定着・水洗・乾燥させ、そのネガの中からコマを選び取り、引き伸ばし機にかけてキャビネ版に焼き伸ばしていた。そして同じようにプリントも現像、定着、水洗、乾燥とさせたのだった。フィルムを早く乾かすために、水洗後、無水アルコールに浸して火をつけて水分を飛ばしていた、という時代でもあった。

電送機はドラム式と呼ばれ、直径七センチほどの円柱形ドラムにキャビネサイズのプリントを巻きつけるのである。ドラムは回転する仕組みになっていて、光学受光部が走査しながら写真を読み取るという仕組みだ。

ホワイトバランスをとるために、写真に余白をつけておくのが常だった。ドラムを回転させ受光部を白の部分に合わせるとピー音がする。写真を貼り付けるための部分が暗部になっているため、ピーッ、ピーッという音が鳴る。受光部をスライドさせるとピヒャーッと違う音がするので、受け取り手(電送部、画像部)は「お、写真が送られてくるな」と察知して、返信音を送るのだ。その音にあわせて送り手は写真電送をスタートさせる。写真一枚の電送時間は、おおよそ五分だった。

出張といえば大がかりで、カメラ機材の他に現像セット、電送機、引き伸ばし機、暗幕など多持っていかなければならなかった。出張はまさに力仕事でもあったという。

しかし私が入社する三年前には、ニコンから白黒ネガ電送機なるものが出回っていた。ネガ電送機とは、文字通りフィルムをダイレクトに電送機にかけて写真を送る機器で、プリント作業は不要。つまりフィルム現像だけで済むため、出張で持ち運ぶ荷物はうんと少なくなるのだ。簡易になり、運ぶ荷物はうんと少なくなったといえ、見る人から見れば大荷物。電送機だってずしりと重かった。(私の入社したてのころは、ドラム式とネガ電送機を併用して使っていた。支局・通信局からの電送はドラム式)

あまりの重さにちょっと楽をしようと思い、キャリーで引っ張って移動していったら、見事に内部のミラー部分がはずれ、壊れてしまったことがある。

「壊れてしまって…」と報告すると、「壊したのだろう」と上司からしかられた。この機械、千万円近くしたそうだ。しかしラッキーな事に始末書だけは免れた。

若手の頃は、出張に出る機会も少なかったが、いざという時に備えて電送機の使用方法は見て学んでおこうと思っていた。

一九八九年春。先輩カメラマンは、中国で民主化を求める動きがあったために北京に出張することになった。ハッセルブラット社のカラー・ネガ電送機を持っていくという。カラー電送機か、と眺めていると、モニター部分はなんと白黒。色の三原色、シアン、マゼンタ、イエローと三回に分けて送られるため、時間は一枚につき四十分近くかかっていた。ずいぶんと時間がかかるものだと思ったが、それでもカラー写真が送れるとあって、使い勝手は随分と悪かったが、重宝がられていた。

そしていよいよ自身の初海外出張となった一九八九年秋の東欧革命。電送機はハッセルからAP通信社が開発した「APリファックス」というカラーネガ電送機を持っていくことになった。

ニコンからはNT2000というスーツケース大ほどある電送機が出ていたが、APの電送機はアタッシュケースサイズ。しかも、キーボード付で、キャプションも簡単に打ち込める。といっても日本語変換ソフトが入っていなかったのでローマ字書き。「明日(あした)」というところをAshitaとローマ字で書くのだが。それでも使い勝手や携帯性は良かった。

ただ、気をつけなくてはならないのは、二二〇ボルトと一一〇ボルトの変換。これを間違えるとえらいことになる。日本国内で二二〇Vにして使っても問題はないのだが、日本の一般の一一〇Vのまま海外で使うと、電圧が違うためにショートして電送機は壊れ、ただの箱になってしまう。

実際に一度だけ、湾岸戦争時期のエジプトでボルトの切り替えを忘れ、とんでもないことになってしまった。外部の取り外しが簡単なヒューズとともに、内部の内蔵ヒューズまですっとんでしまったのだ。この時は、さすがにAP通信社カイロ支局に助けを求めた。ただ運が良くて、たまたまロンドンからAP通信社の技術者が来ており二日ほどで直った。が、その二日間、もちろん写真の送稿手段が私に無かったので困った。

カイロ市内で要人の暗殺があり、撮影した写真のネガをAP通信社の支局に持っていった。が、一向に送ろうとする気配がない。そこで私は偉そうに「朝日はAP通信の加盟社だから、そちらは何とかする義務がある」と話すと、「じゃあ、俺の写真が送られるから問題ない」と、その場にいたカメラマンに言われる始末。「そういう問題ではない」など、と言い返し、一枚を送ってもらうためにそれから一時間ほどかかった。

当たり前の話だが、電送機は一般の人には馴染みがない。というより、そのような機器があることすら知られていなかったため、空港の税関審査ではよく検査に引っかかった。

ドイツでは「幾らするのだ、この機械は」と問われ、調子に乗って「千万円」と答えたため、税関職員に「国際カルネは持っているか」(日本に持ち帰るという証明書のようなもの。そのため、持込の税金が免除される)と聞き返される始末。私が「持っていない」と答えると別室にまで連れて行かれ、「多額な税金を払うことになる。えー、しめて…」と言いかけたので、「間違っていました。これはほんの十万円で、タイプライターのようなものでございます。ほら、中にはキーボードが。これを打って記事を送るのです。私は記者でございます」と話すと、相手は怪訝そうな顔をしながらも放免してくれた。

しかし、電送機には審査官は興味深深で、いろんなトラブルを起こすことになるのだが、ある時、別の場所で興味を抱いた手荷物の審査官から「写真電送機とはどういうものだ」と尋ねられた。デモ(電源を入れて、写真を送る一連の作業を見せること)をして、怪しい機器でないことを納得させなければ、機材を荷物預けしなければならないというのだ。

旧西ドイツ・ベルリンのテーゲル空港での出来事だった。

出発時刻の三十分ほど前の慌しい時間帯。電送機は精密機器なので、荷物預けなどしたら、壊れてしまう。そのためカメラ機材とともに、機内へ持込まなければならない。

私は写真電送機を簡易バッグから取り出し、電源が必要とコンセントにプラグを差し込んでもらうようにお願いした。プラグにアース用の別のコードが十センチほど出ている。何か嫌な予感がしたが、審査官に任せたその瞬間、「ボーン」という音とともに空港内の電源がすべて落ちてしまったのだ。ありえない話だが、実際におきてしまったのだ。

考えられるのは、アースコードを間違って一緒にコンセントに差し込んでしまったことだ。

停電で慌しく走り回る係員。ドイツ語の大声が空港内に飛び交う。私の周りには多数の警察官を含めた様々な係官がやってきた。

「これはもう壊れた。荷物預けの手続きを」と命令してくる。

私は必死になって、「スイッチが入ってない。だから機械は壊れていない。もし、こわれていれば、コンセントの挿し方が悪かった、あなたの責任だ」と一歩もひかずに抗議した。それでも係官は「電源も落ちた。荷物預けの手続きをしなさい」と命令する。私はなおも「まってくれ。荷物預けでは壊れる可能性がある。電源が回復するまで待て」と抵抗し続けた。

その間の空港は、荷物のX線検査などできず、すべて手検査となっていた。発券などもできないので、空港中が大騒ぎになっている。荷物預けカウンター前は長蛇の列ができていた。客は私の方を恨めしそうな顔をして見つめていた。

どのくらい時間が経ったのだろうか。時計を見るととうに出発時刻は過ぎていた。それからしばらくすると、電気が復旧した。

「デモをするからもう一度、コンセントにプラグを差し込んでくれ」と頼むと、「いや、(既にあなたの機械が)壊れてこわれているから駄目だ」という。

「それでは、私がプラグを差し込む。また、同じように電源がおちたら、私が責任を持つから」というと、相手はしぶしぶ認めたが、コンセントを差し込む時の係りの人の顔は恐れに満ちていた。

果たして再びショートはしなかった。電送機スイッチを入れるとスムーズに立ち上がり、一通り、デモをするとようやく審査官は納得して機内への持込を許可してくれた。

慌しく機内に入り込むと、機長からのアナウンスで、「先ほど空港で電気系統のトラブルがあり搭乗手続きが滞り、出発が遅れました」とあった。隣に座っていた男性は一言、「原因はあなたか?」とぼそっと尋ねてくる一幕もあったが、私は長々と理由を説明するのにつかれていたので、「私が原因ではないが、私の時に電源が落ちた」とだけ答えた。

また、ある時は、ウランを手荷物で持ち運ぶ事件が多発していたので、電送機はよく疑いをかけられ、不思議な装置にかけられたりもした。不思議とドイツで問題が起きたが、エジプトではガンとして国内への持込を拒否されて、空港預かりになったこともあった。

私たちカメラマンは写真電送機がなければ、ただの観光客のようになってしまう。報道の取材で海外まできているのだから、写真を新聞社に送る手段を断たれれば、そう陰口をたたかれてもいたし方がない。

電送機はその後、進化をとげてニコンからNT3000という新鋭機ができると携帯性、操作性も格段と向上したが、いずれにしてもカラー写真を一枚おくるのに三十分近くかかることには変わりがなかった。

電送の時にはいつも機器の近くにいて、一枚送り終わると電送部という会社の組織に連絡して、受信常態を確かめていた。電話回線の状況によってノイズが入ってしまう可能性もあり、ノイズが発生するたびに、写真を送り直さなければならなかった。

五枚も送るのは大仕事だった。その間、送り直しの指示が来るかもしれないので離れられない。だから食事もとれない。しかし、その間にやるべきことはない。もてあましてタバコを吸うしかなく、いつも電送し終わると灰皿は吸殻で満杯だった。海外での写真伝送は健康的にも精神的にも悪いと思った。おまけに送った写真の八割以上がボツとなるため疲労感も増した。

今、ふりかえると仕事とはいえ、いつも電送機に弄ばれていた気がする。