第31話 脚立の上の酔景は、プロテイン味

新聞社に勤めていると、いつなんどき呼び出されるか分からない。休みで旅行中であろうが、家でのんびりしていようがおかまいない。ましてや結婚式なんか関係ない。

というわけで、呼び出しはT新聞社とS新聞のカメラマン同士の結婚式に出席していたときに起こった。式といっても無事盛大に終わり、二次会の真最中というのが正しい。

前兆はあった。他社の仲間のポケベル(時代はまだ、携帯電話の時代ではない)の呼び出し音がまず鳴った。彼は「たいした用事じゃないんだけど、ちょっと社に上がらなくてはいけない」と言って、その場を去っていった。さらに数分後、別の他社のカメラマンのポケベルも鳴った。彼も「たいした用事じゃないんだけど」と言って去っていった。さらに、もう一人、ポケベルが鳴っては去っていった。

私は飲みすぎて、気持ちよくなっていた。それでも何か、おかしいと感じたが、当の結婚式のお二人が近づいてきて、「なんか、みんな出ていくねえ。でも、たいしたことじゃあないみたいだよ」という。私は「そうか」と思い込み、さらに祝いの杯を重ねていった。

するとまた、別のカメラマンも去っており、気がつくと出席していた同期入社のカメラマンはみんないなくなっていた。

何か図られた気がした。T新聞のカメラマンに「何かあったのか?」と聞くと、ニヤニヤしながら「野口、本当に何もしらないの?連絡ないの?」と答えた。

「隠さずに言えよ」というと、「金丸(自民党元副総裁)が逮捕され、ガサ入れ(強制捜査)だよ」と正直に話してくれた。

「うわー、大変だ」と公衆電話に直行し、写真部にダイヤルした。するとのんきな声で先輩が「そういう噂もあるけど」と答えるので、「今、結婚式だけど、他社のカメラマンが全員、席をはずしたんですけど」と説明した。

先輩も慌てて、「ちょっと待って。司法クラブに聞くから」と言ってから電話を切った。

その後すぐに私のポケベルも先輩に鳴らされ、電話をすると現場に向かうように指示された。

式を抜け出し、その現場である当時の自民党のドン、金丸邸に直行すると先ほどまで同席していた他社のカメラマンがすでにいた。

「野口、遅いよ」とみんなが笑っている。

私の足元は酔いで覚束ない。現場にフィルム受け渡しのオートバイのお兄ちゃんに「悪い。これでポカリスエット買ってきてよ」と小銭を渡した。

私は脚立の上に座りながら、現場が動くのを待っていた。すでに地検特捜部が家宅捜査に乗り出しており、いくつかの物品を運び出していたようだ。

しばらくするとバイクのお兄ちゃんが戻ってきて、「すみません。ポカリが無かったので、似たような飲み物で」とオレンジ色の缶を手渡された。

「ありがとう」と礼を言って見ると、それはなんとプロテイン飲料。

「まあ、いいか」と思いながらグビグビ酔い覚ましに飲むと、しばらくすると気持ちが悪くなってきた。脚立の上に立ち上がるとフラフラする。

それを見ていた警備の警察官が「あなた、危なっかしいなあ。こんな所で脚立から落ちて怪我をすると、こっちの方がニュースになるよ」とあきれた顔で話しかけてきた。

「いやあ、友達の結婚式に出席して、飲みすぎて…」となぜか弁解口調になっている。

ついに気持ち悪さはピークに達し、耐えきれず家の影で(といっても高級住宅街)で嘔吐してしまった。

とその時、動きがあった。ガサ入れを終えて、押収した書類が詰め込まれたダンボール箱を手に地検捜査員らが出てき始めた。

脚立に上がる。最初はさすがにフラフラしたが、気合を入れなおして撮影に集中した。

無事に脚立から落ちることもなく、撮影し終わったフィルムを待機していたオートバイの兄ちゃんに渡して、ほっと一息をついた。

しばらくすると会社からポケベルが鳴った。連絡するとデスクが怒っている。

「今、時事通信配信の写真で、金庫を運び出している光景があるんだけど、野口君、それ、撮っていないの」と責めてくる。

「いやあ、まって下さい。私は自分の仕事をきちんとしましたよ。そもそも、連絡が遅くて、現場に来たときは各社の最後。何時撮影になっているんですか?」と問い返すと、「とにかく社に上がってきて」と電話が切れた。

社に上がって時事通信の写真を見ると、確かに金庫が運び出されるシーンだった。

「やられたなあ」と思ったが、どうも、そのシーンは私が現場に駆けつける前のようだった。

疑いが晴れて、助かったとはいえ、後味の悪い結膜に終わった。

それにしても、いくら仲の良いカメラマンといえ、現場は非情なのだ。とほほ。