第33話 番外編 行政をメルしてくれ!?

まったく写真の話からそれるが、先日、他社の若手記者と話していたら、自分たちが入社した当時の言葉が通じないことがわかった。もちろん、隠語のような、その会社や組織でしか通じない言葉回しや単語もある。それを差し引いても、たかだか二十年そこそこで、機械などの進歩によって変わる伝達方法など隔世の感がある。

そもそも携帯電話なるものはなかった。私は一九八六年の入社。電話でも学生で持っている人は少数派の時代。電話の権利を買うために十万円ほどかかった。私は、入社の一次試験通過、合格通知を電報でもらっていた。

話のずれついでに、入社して一年間は寮にいたので、個人で電話に加入する必要はなかった。翌年の一九八七年に水戸支局に赴任した時に初めて個人の電話を持った。プッシュホン回線にするか、ダイヤル回線にするかで悩んだものだ。それでも社会人になっていたにもかかわらず、固定電話を手に入れたことで「一人前の大人」になったような気がした。

話をもどすが、写真部には当時ファックスがなかったので、この水戸支局に赴任して初めてファックスに接した。言葉としてのファックスは知っていた。見たこともある。しかし、扱い方は知らなかった。

支局に赴任した時に、先輩記者だったか、デスクだったか忘れたが、こう言われた一言は今でも、鮮明に覚えている。

「野口君、行政をメルしてくれ」と。

へっ?何のこと?と私は乏しい、自分の中に蓄えている語彙をふる検索してみた。しかし、私の導いた答えは、行政出版に手紙を出しておくことしか思いつかなかったのだ。

そこで、行政の住所を恐る恐る聞くと、「馬鹿か」としかられた。「行政も知らないのか」と呆れられた。

行政は、朝日新聞社内で使う用語のひとつで、連絡文を意味する。移動行政、出稿予定行政など。移動行政とは、出張などで移動した(する)ことを連絡することで、出稿行政は、本日の予定原稿を連絡することだ。

さて、そこまでは分かったとして、「メル」とは何だという疑問が残った。

現代ではメルとは携帯電話やPCによる電子メールのこととして使われるが、当時は電子メールなんかはまだ日本で一般化していなかった。

ぼやぼやしていたら、「早くメルしろ」という声。仕方なしに「メルって何ですか?」と聞き返した。

「メルはメル。そこの棚にあるだろう。メルも知らないのか」とまた、怒られてしまった。

棚を見ると、そこにファックスが置いてある。ひょっとしたらこのことかも、と思いながら「ファックスのことでしょうか?」と聞いた。

「ファックスじゃない。メルだ。メルファスのメルだ」とまたまた怒られてしまったのだ。

ははーん。新聞社ではファックスのことをメルというのかと覚え知ったが、どうしてメルなのかは疑問に残った。

その答えはすぐに氷解した。先輩記者がもっともらしく、こう説明してくれた。

「三菱の製品で、ファックスのことだ。わが社ではファックスと呼ばず、メルファス、メルと呼ぶ。覚えておけ」。

それ以来、私もファックスのことをメル、メル、と読んでいたが、流石に今では使っていない。

でも、いつからメルと言わなくなったのだろうか?まったく記憶がないのだ。当然今では、メルファスと慣れ親しんだ世代の先輩でも同輩でもファックスと呼んでいることだけは明らだ。