第34話 非常線を突破せよ その1

事件が起こると、現場の写真撮影に苦心する。警察により非常線が張られ、現場に近づけなくなり、中の様子をうかがいしれない。しかし、だからといって遠巻きに写真を撮影しても映像に迫力が生まれない。そこで、いかに現場に近づくかを考えるのはどこのプレスも同じ。

都会で事件が起こった場合には、近くに俯瞰できる高い建物はないかと探し出す。ずうずうしく部屋に上がらせてもらい、ベランダから撮影したこともあった。

札幌の住宅街で火事が起きたときは、屋根伝いに現場が良く見えるところまで移動したこともある。その時は住人から大目玉を食らったが。

警察と消防では少し対応は違った。警察は非常線を張って、現場保存のために捜査関係者以外は中には入れてくれない。しかし、消防はテロで学習院大学が放火された場合ですら、「あ、カメラマンさんですか。ここから入れますよ」と言って、一・五メートルほどの高さの塀をよじ登る手助けさえしてくれた。もっとも今はそんなに優しくないと思うのだが。

世間を震撼させた連続幼女誘拐・殺人事件が起きた時の話だ。いわゆる宮崎事件だ(警察庁広域重要指定一一七号事件)。

遺体が発見された現場が埼玉県狭山市郊外の公園・公衆トイレ脇だった。現場ははるか遠くで写真にも写らない。これは困ったと思っていたら、Y新聞カメラマンが非常線突破を試みている。こちらも「うぬ、負けてはいられぬ」と思い、非常線のない丘を越えて現場近くを目指すことにした。

現場周辺を警備する警察官に見つからないように、そろりそろりと、まるで戦争映画で斥候部隊が敵陣中まで行くような感じだ。見つかれば終わり、というより大目玉。フィルム没収も免れない。そう思いながら現場を目指した。

突然、視界が広がった。身を隠す場所がない。しかし、目標の公衆トイレは目の前に見えた。その距離、約、50メートル。あと一息だ、と思った瞬間、Y新聞が堂々と歩いているではないか。「あ、あの馬鹿。見つかるぞ」と思った瞬間、案の定、警察官に質問され出した。いかん。こちらの身も売られるかもしれないとドキドキしながら、草むらから撮影しながらも、様子を伺った。

すると、ああ、何と現場を荒らしたため、石膏で足型が取られ始めた。同業他社として可愛そうにと一瞬思ったが、「アホな奴だ」と思いながら、逃げるようにして現場を立ち去った。

そのときに撮った写真は、遠すぎて現場の様子が分からなかったためボツとなり、代わりにヘリコプターから空撮した写真が紙面に使われた。

危険を冒しながらの「突撃撮影」はいつもドキドキした。こんなことして、なんでこんなことまでして写真を撮らなければならないんだろうか、という疑問もよく芽生えた。「本当に報じる価値なんかあるのかな」と思えることさえもあった。

Y紙は、ディスコの天井に釣り下がっている照明器具が落下して多数の死傷者が出たときに、何と、隣のビルの窓から飛び移り、中の様子の撮影に成功した。

一方、朝日新聞社は、潜水艦「なだしお」と第一富士丸が衝突して、第一富士丸が沈没した時には、引揚げられる船の中に作業員のふりをして忍び込み撮影している。

こうした特ダネ写真合戦は事件ごとに起きるのだから、じっと手をこまねいて現場を見ているわけにはいかなかったので、非常線突破がよく試みられたのだろう。

大事件になればなるほど、報道カメラマンは非常線突破に力が入るのだったが、今では無茶をすると簡単に警察に逮捕されるし、逮捕されたカメラマンを会社が守ってくれなくなったので、こうした「伝統芸」はもはや過去の語り種のようだ。